ホーム お知らせ 森丘 正唯(もりおかまさただ 1880-1967) 森丘 正唯(もりおかまさただ 1880-1967) 2009年2月6日更新 このページを印刷する シェア ツイート ■地域の発展のために 正唯さんは、大布施村のことだけでなく、地域社会の発展のためにつくしました。 農村振興のためには、農村に親しんで農村を愛する人々の育成が必要と考え、明治43年(1910)、三日市に下新川郡立農業学校(※2 現在の桜井高等学校)を創立しました。この学校の出身者として、流水客土(りゅうすいきゃくど)を行った伊東森作さん(いとうもりさく)や、アルゼンチン移民につくした飯野栄作さん(いいのえいさく)らが挙げられます。 また、人々の健康を守ることが大事であると、黒部市民病院の前身である「桜井町国民健康保険組合直営組合立下新川厚生病院」の建設を決定したのも、正唯さんの大きな功績です。 ※ 下新川郡立農業学校 1909年秋、皇太子殿下(のちの大正天皇)が北陸へおいでになることを記念し、設立が決定された学校。開校当初の生徒定員は、約120人でした。正唯さんは、この学校で子どもたちを教育することにより、郷土が発展していく力となるだろうと期待したのです。 【下新川郡立農学校附設図書館】 ■水の悩みを解消する 黒部川の水に、農民たちは大変に苦しめられていました。ひとたび洪水が起これば、田畑は砂や石の下に沈み、豊かな土壌はその姿をかくします。また、田畑へ引く用水を守っていくのも、並大抵の仕事ではありませんでした。 その悩みを解決すべく、正唯さんが中心となり、昭和7年(1932)愛本堰堤(あいもとえんてい)の建設実現に大きな功績を残しました。この堰堤ができたことで、黒部川流域の農民たちの洪水や水不足への不安が解消されました。 【黒西合口用水】 合口用水事業完成の2年後、黒部川流域は大洪水に見舞われました。しかし、愛本堰堤は被害を受けませんでした。それは神様のお力であると感じた人々は、神様に感謝し、将来の安全と黒部川流域の繁栄をお祈りするために黒部川神社(※3)を建立しました。 この神社は、右岸に社殿、左岸に鳥居があります。なんと、境内は、間を流れる黒部川という非常に珍しい神社です。左右両岸の人々が、末永く仲良く暮らしていけますようにという願いが込められているそうです。 黒部川神社の中に、この合口用水事業に大きな功績を残した正唯さんを「生き神様」としておまつりしています。 また、昭和15年の町村合併によって、桜井町(現在の黒部市)が誕生し、正唯さんは、初代町長となりました。正唯さんは、その後6年間町長の職を続け、村長のときから数えると、約41年間、人々のために働きました。その間、環境整備、公共施設の充実を図るなど、人々がますます幸福となるよう町政の安定に尽くしました。 【黒部川神社本殿】 ※3 黒部川神社にまつられているもう一人 正唯さんは、黒部川神社本殿裏扉の左側にまつられましたが、右側にもまつられている人がいます。黒部川電力株式会社社長であった福田俊さん(ふくだとし 1883-1951)です。俊さんは、会社の創立に関わって以降、愛本橋より下流にある6つの発電所建設に尽力した方です。 (続きを読む・・・) 最新のお知らせ 【2/28(金)~3/2(日)】インターネット相談窓口等の受付停止のお知らせ 4/13(日)マイナンバーカードの休日窓口を開設します KOKOくろべで「健活」&「クラフト体験」 大雪に関する情報はこちらから(令和7年2月17日更新) 防災まちづくり講演会を開催します! 令和6年度黒部市高齢・障がい福祉施設等物価高騰対策支援金について 宇奈月温泉スキー場からの大雪に関するお知らせ 第7回マイプロジェクト発表会を開催します! 【2/21(金)】 お知らせ一覧へ