ホーム お知らせ 森丘 正唯(もりおかまさただ 1880-1967) 森丘 正唯(もりおかまさただ 1880-1967) 2009年2月9日更新 このページを印刷する シェア ツイート ■老いてなお 老齢になっても、正唯さんは町民のため県民のために働き続けようと、自らの健康管理に努め、朝に目がさめると体操し、冷水摩擦を続けたそうです。そして、活動を精力的に進めました。 正唯さんが生涯に務めた役職は、数え切れないほどありました。そうした努力を元に、積み重ねられてきた長年の功労に対し、昭和31年に土地改良事業など食糧増産功労者として藍綬褒章(らんじゅほうしょう)を受け、さらに、昭和39年に生存者叙勲(じょくん)があり、勲四等瑞宝章(ずいほうしょう)を受けました。 昭和42年、正唯さんは87歳で亡くなりました。黒部川神社には、正唯さんの胸像が建てられています。 「我れ農村に生まれ、農村に育ち、農村のために一生を捧げて死ぬのだ。」の言葉のとおり、終生農民たちのために尽くした正唯さん。 きっと今でも、黒部川のほとりで、たわわに実る稲と、そこに生きる私たちを温かく見つめ続けていることでしょう。 【正唯さんの銅像(黒部川神社)】 コラム 語りつがれるエピソード 村人の信頼を一心に背負う 昭和9年の大洪水で、黒部市出島地区の家々が次々と流されていきました。みんなで懸命に家を守ろうとしましたが、被害は広がる一方でした。気が立っていた被災者たちは、被害状況を調べに来た警察官をなぐるなど、大変危険な状態でした。 そこで、正唯さんは、村民の心を落ち着かせ、今後やるべきことを話し合うため、1人で出島へ向かおうとしました。1人で行くのは危険だと制止する警察官に対し、「ひとりでいくことが一番安全だ。出島の人たちは決して私に乱暴はしない。」と言い、出島へ行きました。 村人たちは、喜んで正唯さんを迎えました。そこで、正唯さんは、こう言いました。「先祖から受けついだこの土地は、何としても復旧せねばならぬ。(中略)これからのことは、私が全部引き受けるから安心してまかせなさい。」 出島の人たちは、乱暴した警察官たちに謝ることを約束し、みんなで協力して復旧作業にあたった結果、他に被災したどの地区よりも目覚ましいスピードで復旧したそうです。 【正唯さんの自伝『憶い出』】 『語りつぎたい黒部人~黒部に足あとを残した人々』へ戻る 西暦 年齢 項目 1880 大布施村に生まれる 1900 20 富山県第一中学校を卒業。大布施村長となる 1901 21 早稲田大学に入学する 1906 26 再び大布施村長となる 1910 30 下新川郡農業学校設立のために尽力する 1923 43 富山県議会議員となる 1940 60 初代桜井町長となる 1956 76 食糧増産の功労によって勲章を受ける 1964 84 地方自治の功労によって勲章を受ける 1967 87 亡くなる 最新のお知らせ 【2/28(金)~3/2(日)】インターネット相談窓口等の受付停止のお知らせ 4/13(日)マイナンバーカードの休日窓口を開設します KOKOくろべで「健活」&「クラフト体験」 大雪に関する情報はこちらから(令和7年2月17日更新) 防災まちづくり講演会を開催します! 令和6年度黒部市高齢・障がい福祉施設等物価高騰対策支援金について 宇奈月温泉スキー場からの大雪に関するお知らせ 第7回マイプロジェクト発表会を開催します! 【2/21(金)】 お知らせ一覧へ