ホーム お知らせ 伊東 森作(いとうもりさく 1897-1997) 農民たちの生活をよくしたい 信念の技術者・政治家 伊東 森作(いとうもりさく 1897-1997) 農民たちの生活をよくしたい 信念の技術者・政治家 2009年2月5日更新 このページを印刷する シェア ツイート ■黒部西瓜(すいか)のはじまり 伊東森作さんがまだ生まれる前のことです。明治中期、荻生村(おぎゅうむら 現在の黒部市荻生)の篤農家(とくのうか)が、アメリカからたくさんの西瓜の種子を取り寄せて試作してみました。すると、「アイスクリーム」という丸形の西瓜と「ラットルスネーク」という楕円形の西瓜が、この地方に適していることがわかりました。付近の農家がこの西洋西瓜の種子を分けてもらって栽培し、「荻生西瓜」として次第に普及していきました。 明治42年(1909)、皇太子(後の大正天皇)が、北陸へおいでになった際にこの西瓜を献上したところ、大変お喜びになり、当時の小倉久知事が、これを「黒部西瓜」と命名しました。この黒部西瓜のうち、丸形のものは三日市町(現在の黒部市三日市)を中心に、楕円形のものは入善町付近の村で多く栽培されるようになりました。 楕円形の黒部西瓜は、大きく、熟成する時期がおそいことから全国的にも珍しいものでしたが、丸型の黒部西瓜は、多くの人に好まれたため、競争相手が現れました。それは奈良の大和西瓜(やまとすいか)でした。 大和西瓜は、見た目が美しい上に手ごろな大きさで皮が薄く、大阪や神戸の市場に近いため、大変な人気で売れました。それに比べ、丸型の黒部西瓜は、大きく皮が厚かった上、まちがってまだ熟していない西瓜を市場に出したため、急に売れなくなりました。 そこで、なんとか売れる西瓜を作るために大和西瓜を黒部へもってきて栽培してみましたが、よい西瓜がとれませんでした。肉質が悪い上に病気に弱く、とれる量も少なかったのです。最後の方法は、この地方に適する品種を新しく作りだすことですが、これには長い年月と多くの費用がかかるので手をつける人がいませんでした。 ちょうどそのころ、下新川郡立農業学校(しもにいかわぐんりつのうぎょうがっこう。現在の桜井高等学校)を卒業して農業をしていた伊東森作さんは、このような困った状態を知りました。 ※ラットルスネーク アメリカから導入した西瓜の一種。ラットルスネーク(rattle snake)とは、英語でがらがら蛇のことで、しましま模様がその名前の由来です。黒部で初めてラットルスネークを栽培したのが結城半助さんでした。半助さんは荻生村に住む篤農家で、西瓜の育成普及に大きな役割を果たしました。 (続きを読む・・・) 最新のお知らせ ゴールデンウィークはくろべ牧場でゆっくり過ごそう!「ファームフェア2024」 アルペンライナー(宇奈月-室堂線)の運行について ゴールデンウイーク期間中(4月27日~5月6日)の市内路線バスの運行について 令和6年能登半島地震による法人市民税等の申告・納付等の期限の延長について 令和6年度「農業経営のてびき」を作成しました 申請はお済ですか?「非課税世帯等価格高騰支援給付金(追加)」の申請は30日までです 春の農業用水路転落事故防止強化期間について 「第3次黒部市子ども読書活動推進計画」を策定しました お知らせ一覧へ