ホーム お知らせ 伊東 森作(いとうもりさく 1897-1997) 伊東 森作(いとうもりさく 1897-1997) 2009年2月6日更新 このページを印刷する シェア ツイート ■売れる黒部西瓜を作ろう 「じっとしておれない。新しい黒部西瓜を作って黒部の名産物とし、農家の生活を助けなければならない。」 家業のかたわら、森作さんがこの仕事に取り組んだのは、大正12年(1923)からでした。 国内だけでなく、アメリカからも西瓜の種を取り寄せて試作しました。そのうち、アメリカから来たフロリダフェボクットは、特に品質がよいので、これを基本にして改良することにしました。しかし、そのままでは楕円形で見た目も悪く、売れそうにもありませんでした。 これを丸型にしなければならないと考えて大和西瓜と交配しましたが、雑種はとても複雑であり、多くの欠点も残りました。それらの欠点を解消するため、これに甘露(西瓜の一種)を交配し、昭和6年(1931)、新黒部西瓜1号を開発しました。これは見た目も味もよく、大阪中央卸売市場の西瓜品評会で一等賞となり、大いに称賛されました。しかし、病気になりやすいので栽培が難しく、とれる量も少ないために実用品種としての価値はありませんでした。 再び、西瓜の品種改良に取り組まなくてはなりませんでした。新黒部西瓜1号と、強い野生の西瓜との雑種交配をするための種子を中国やドイツに求めました。そして、最も病気になりやすい条件の畑で、何度も続けて作る試験を行いました。その結果、病気には強いけれど、野生西瓜なので品質が悪く、とても食べられない西瓜ができました。この西瓜から人々の喜ぶ西瓜を作ることは困難でした。 その後、長年の過労がたたって病にかかった森作さんは、とうとう金沢の病院に入院することになりました。10年間、本当に名誉も地位も忘れて西瓜の改良に専念したのに、ひとつも結果を出すことなく中止しなければならないと思うと涙が出ました。 人生をかけて取り組んだ西瓜の品種改良をあきらめ、入院する前に、一目見ておこうと一巡りしていた時、畑の真ん中にカラスに穴を空けられた西瓜がありました。よく見ると、それは本当に立派な西瓜でした。「この西瓜こそ神様がカラスを通して私の念願をかなえてくださったのだ!」と森作さんは飛び上がって喜びました。 退院後、森作さんは、以前にも増して品種改良に力を注ぎました。昭和13年、ようやく病気に強い新黒部西瓜7号の開発に成功しました。西瓜の改良を志してから、16年もの年月がかかりました。これを市場に出すと飛ぶように売れ、農民たちは手に手を取り合って喜びました。 【西瓜の接ぎ木をする森作さん】 ※ 病気に強い西瓜を作るため 森作さんは、日本中はもちろん、アメリカ、ソ連、中国、ジャワ、スマトラまで広い範囲で西瓜の種を求めたそうです。なかなかよい品種が見当たらず、病気に強ければ味が悪く、味が良ければ病気に弱いというふうに、大変な苦労をして品種改良を行ったのです。 (続きを読む・・・) 最新のお知らせ 申請はお済ですか?「非課税世帯等価格高騰支援給付金(追加)」の申請は30日までです 春の農業用水路転落事故防止強化期間について 黒部市立あおーよ図書館ボードゲームイベントについて 令和6年6月定例会の日程をお知らせします 黒部市地域公共交通計画の策定について 【5月~6月実施】スマホ教室参加者募集中! 福祉に関する計画 第4次黒部市地域福祉計画(令和6年度~令和10年度)を策定しました。 お知らせ一覧へ