ホーム お知らせ 伊東 森作(いとうもりさく 1897-1997) 伊東 森作(いとうもりさく 1897-1997) 2009年2月5日更新 このページを印刷する シェア ツイート ■泥流しの実験 第二次世界大戦のさなか、東京帝国大学(現在の東京大学)の塩入松三郎博士(1889-1962)が、稲の秋落ちと鉄分補給に関する研究をしていました。秋落ちとは、稲作で秋になって急に生育が衰え、とれる量が予想より減ることを言います。 塩入博士が、秋落ちの代表地として知られている黒部川扇状地で、稲作試験するために来県されたことがありました。試験地は、黒部市石田と入善町上原の2カ所に決定し、3年間続けられました。土壌を改良するために、性質のちがう土を他の場所から大量に運び入れ、元々あった土壌に混ぜる「客土(きゃくど)」をした客土区と、しなかった「無客土区」の米のとれる量を比べるという試験でした。その結果、客土区では無客土区に比べ、15%から20%も多くとれることが明らかになりました。この試験によって、なるべく早く客土を実施し、食糧増産に役立たせなければならないという結論に達したのです。 これで客土はよいとわかったのですが、問題は、広大な黒部川扇状地の水田に大量の土を運ぶためにはどうすればいいのか、ということでした。 「水田の一枚一枚に土を入れていくのは費用がかかりすぎる。赤土を水に溶かして泥水として用水へ流し、水田まで運べばいいのではないだろうか。」 それまでだれも考えなかったようなアイディアをもつ人が現れました。宇奈月町の医師藤田与次さん(ふじだよじ)と話しているときに、森作さんはそのアイディアを思いついたのです。与次さんは、 「わしの祖父は土のない新屋村(あらやむら。現在の入善町新屋)の石河原を開き、そこへ泥水を一年中流し込んで、1,000歩もある田んぼを何十枚も作ったものだ。」 と言って、実際に泥流しの実験をして見せてくれました。 「これは祖父の専売特許ではなく、黒部6,000町歩の石河原はこの泥流しで田んぼになったのだ。それと同じことなのだ。」 と言うのでした。 森作さんは、この泥流しを「流水客土(りゅうすいきゃくど)」と呼ぶことにしました。このことを県当局に働きかけ、宇奈月町下立と魚津市木下新などで地元の協力を得て試みましたが、その成果が充分あがらないうちに終戦となり、戦後にもちこされました。 (続きを読む・・・) 最新のお知らせ 【2/28(金)~3/2(日)】インターネット相談窓口等の受付停止のお知らせ KOKOくろべで「健活」&「クラフト体験」 大雪に関する情報はこちらから(令和7年2月17日更新) 防災まちづくり講演会を開催します! 令和6年度黒部市高齢・障がい福祉施設等物価高騰対策支援金について 宇奈月温泉スキー場からの大雪に関するお知らせ 第7回マイプロジェクト発表会を開催します! 【2/21(金)】 JRにおける精神障害者割引制度の導入について お知らせ一覧へ