ホーム イベント 令和2年度 春の常設展 みどころ1「高峰譲吉・山田胖 100年前の書簡に学ぶ」の展示紹介 令和2年度 春の常設展 みどころ1「高峰譲吉・山田胖 100年前の書簡に学ぶ」の展示紹介 2020年5月22日更新 このページを印刷する シェア ツイート ☆歴史民俗資料館の展示のご案内はこちらです ⇒ 歴史民俗資料館 展示のご案内☆うなづき友学館のページはこちらからです ⇒ https://www.city.kurobe.toyama.jp/contents/yuugakukan/☆春の常設展 ⇒黒部市歴史民俗資料館 春の常設展+みどころ「高峰譲吉・山田胖 100年前の書簡に学ぶ」のご案内 令和2年度 春の常設展 みどころ1「高峰譲吉・山田胖 100年前の書簡に学ぶ」展示紹介 令和2年度春の常設展では、みどころ「高峰譲吉、山田胖 100 年前の書簡に学ぶ」として、いまから100 年前の黒部川電源開発に関する手紙を紹介しています。 高峰譲吉~ふるさと富山でのアルミ生産計画と黒部川電源開発~ 1.世界の人々に必要とされる高峰譲吉の業績 高峰譲吉はアドレナリン、タカジアスターゼを発見し、その薬品はいまなお世界中で広く使われています。 実業家としての多くをアメリカで過ごした高峰譲吉ですが、アメリカで日米の架け橋となる思いと同時に、ふるさとへの貢献の願いは強く、役に立つことはなにかと考え行動していたそうです。 他国と日本の双方を見てきた高峰は、人造肥料、酵母、薬など、世の中に必要とされるものを生み出し広めていきました。そしてふるさとの将来を予測して提案したのが、富山にアルミ産業を起こそうという計画でした。 2.ふるさと富山でのアルミ生産計画 高峰はアメリカのアルミ会社とパートナーを組み、アメリカのアルミ原料ボーキサイトと精錬技術を輸入し日本でアルミを生産する事業を計画しました。アメリカのアルミ会社社長の同意を得て大正5年(1916 年) に計画は出発しました。 今回展示紹介しているのは、大正8 年から9 年(1919 年-1920 年) にかけての今からちょうど100 年前の手紙のやり取りです。 手紙の主は高峰譲吉と山田胖、そしてアメリカのアルミ会社の社長です。内容は黒部川でアルミ産業のための水力発電をおこしたいが、黒部川のどこをどのように利用したら良いかの調査を行なっていることの報告と、アメリカのパートナー企業に協力を願う手紙です。第一次世界大戦後の不況が深まるなか、交渉に苦労している高峰の思いが伝わります。 <図解>東洋アルミナム株式会社日米企業提携アルミ生産会社設立と黒部川電源開発の背景 高峰譲吉は、日本最初のアルミ産業を構想し、原料輸入ができる湾港があり大規模電力の確保が可能なことなどから、高峰の郷里富山県をアルミ工場の立地場所としてえらんだ。アルミ産業構想から、黒部川での水力発電に至るまでの背景はどのようなものだったのだろうか。 3.山田胖の実績 山田胖は、逓信省の土木技師で国内の河川調査の実績がありました。山田の恩師であった土木博士石黒五十二は、また高峰譲吉の同郷で留学仲間でした。山田は石黒の紹介で、高峰のアルミ計画の会社である東洋アルミナムに招かれ、活躍しました。多大な電力を必要とするアルミ生産には、コスト的にも比較的安い水力発電が有力とされました。 今回の展示では、高峰の理念のもと、山田が黒部川の水力発電調査のために上流部まで踏査した報告書や、発電所の場所に黒部川流域のどこが適しているかの計画地図を紹介しています。<東洋アルミナム株式会社黒部川出張所 ( 大正 9 年 )><山田胖の調査成果である黒部川の発電所計画地図 ( 大正時代末 )> 4.高峰譲吉、山田胖の願い 大正時代(1900 年代) のはじめは、世界では新しい金属のアルミの生産の勢いは高まっていました。一方日本ではすべて輸入に頼り、生産方法も確立していませんでした。 高峰譲吉は日本の将来を見通して、工業立国として自立することが発展の道に繋がると考えていました。 高峰譲吉の手紙のやり取りを見ても、高峰の高い理念の元に計画行動する姿、そして簡単にはあきらめない、ねばりづよく交渉する姿勢がよくわかります。 また山田胖は黒部川の電源開発とともに電車の開通、宇奈月温泉の開発などを行いました。高峰の理念のもと実務を担うなか、地域の特徴をよく知り、将来の展望を持って実現に臨みました。 現在私たちは、先人たちの努力による地域発展の恩恵を受けています。これらが100 年前の高峰譲吉らの夢と計画から始まっていることを、手紙から読み取っていただけたらと思います。<旧柳河原発電所>山田胖が手掛け、昭和3 年に日本電力により完成。当時としては日本最大の出力をもつ水力発電所であった。 高峰 譲吉(たかみね じょうきち) 安政元年(1854)- 大正11年(1922) タカジアスターゼ、アドレナリンの発見者として知られる明治・大正時代の応用科学者、実業家。越中国高岡に生まれる。明治12 年工部大学校応用化学科を卒業。翌年から3 年間イギリス留学。帰国後農商務省技師として工務局勧工課に勤務。明治18 年渋沢栄一等を説得して日本初の人造肥料会社を設立。 明治23 年元麹改良の特許を得て渡米、ウィスキー製造で成功。明治27 年タカジアスターゼを創製、世界の医薬品となった。またアドレナリンの結晶分離に成功、酵素化学とホルモン化学の先駆けとなった。この業績により明治45年帝国学士院賞を受賞。また理化学研究所設立へのきっかけをつくった。日米親善に尽力した。 山田 胖(やまだ ゆたか) 明治19 年(1886)- 昭和39 年(1964) 大正・昭和の土木技師、実業家。明治43年東京帝国大学土木工学科を卒業、逓信省に入る。多年にわたり水力発電事業に従事。大正6 年逓信省を依願退職し高峰の計画のため、黒部川の電源開発の調査と建設の務めで東洋アルミナム設立に関わる。同時に黒部鉄道敷設に関わる。宇奈月温泉開湯。昭和2 年まで黒部川の電源開発事業に尽力した。 イベント情報詳細 開催期間:2020年4月1日(水曜日)から7月31日(金曜日)まで※開催期間を延長しました 開催時間:9時~18時開催場所:黒部市歴史民俗資料館(うなづき友学館)費用:入館料 一般300円(中学生以下無料)対象:児童~一般 「伝統・文化・芸術・教養・科学」のイベント ニッポンSFワールド Newライフスタイル~人生の転機にぴったりの一冊を!~ YA!世界が広がる本棚 絵本屋さん大賞 インド特集 歴史民俗資料館 展示のご案内 令和7年黒部市20歳を祝う式 黒部市美術館開館30周年 コレクション展vol.1「木々の語らい-木版画と彫刻と」のご案内 イベントカレンダーへ お問い合わせ 教育委員会 生涯学習文化課 〒938-8555 黒部市三日市1301番地 電話番号:0765-54-2764 FAX番号:0765-54-2702 このページの担当へ問い合わせを送る