ホーム 教育・文化・スポーツ 文化 芸術・文化 市指定文化財[彫刻] 市指定文化財[彫刻] 2023年3月24日更新 このページを印刷する シェア ツイート 吉祥寺木造聖観世音菩薩立像 市・彫刻昭和三一年一一月一三日指定黒部市山田新二一一五(吉祥寺) この聖観世音菩薩立像は、曹洞宗大悲山吉祥寺に安置されている。市内で最も古い仏像で、藤原期(八九四~一一八五)の様式を示している。像の高さは一〇〇㌢で、造像技法は一木造り、両手は別材を寄せている。材質はスギを使用。顔は、像の高さに対して比較的大きく円顔で、鼻はやや高く、眉や目は細く口はやや小さい。ほおはふっくらとし、胸のはりがよく、腰がどっしりと落ち着いている。身にまとっている天衣は厚みがあり、全体にまとまっている。 観音は、正しくは観世音菩薩・観自在菩薩といい、慈悲のほとけである。観世音とは、世間の人々の救いを求める声(音)を観じると、ただちに救済の手を差し伸べ、観自在とは、一切諸法の観察や人々の救済が自在であるという意味である。いずれにしても救いの要請があれば千変万化の相を表し、大きな慈悲を行うのが観世音菩薩である。 この聖観世音菩薩立像は、秘仏で開帳は三三年に一度であるが、中間の一七年に行うこともある。また、前田、上杉の戦いにおいて前田勢を護ったといわれ、加賀藩主前田家の守護菩薩になっている。この吉祥寺の寺紋、梅鉢はそれを語っている。 ●富山地方鉄道「長屋駅」下車、徒歩一〇分 木造阿弥陀如来立像 市・彫刻平成一一年八月三〇日指定 黒部市石田野一一七(心行寺) この木造阿弥陀如来立像は、江戸時代末期の天保一一年(一八四〇)に十二貫野用水が完成した後、いわゆる十二貫野新開所(布施山開き)の一村の石田野にある真宗大谷派心行寺に安置されている。 もともと心行寺は下新川郡大家庄(現・朝日町)にあった。天保六年に本山より寺号を免許され、明治一九年(一八八六)に住職順恵が大家庄より本野に移住し、明治二九年現在地に移転した。 この像は、浄土真宗の寺の本尊ではない。入善町新田(現・浦山新)にあった念仏道場の本尊であったが、戦後、縁あって心行寺に移り管理されて来た。 像の高さは、三六㌢とやや小柄で、木彫杉材一木造りで、杉の柾目が縦に浮き出された巧妙で素朴な、地方色ゆたかな作である。肩が張り腹部のゆったりした姿形は室町時代末期の特徴をそなえている。顔は慈悲にみちた表情をもち、頭部には髪を右巻きにしてタニシのような形をした螺髪がないのが特徴である。 黒部市内においても数少ない室町時代の像である。蓮華座の台座と放射光の光背は後の時代に造られている。富山県内に伝わる立山信仰に関わる、左胸に矢疵ある阿弥陀如来立像に酷似している。 この像にまつわる言い伝えがある事や、また、数奇な変遷を経ている背景に、関心が持たれている。 ●国道八号田家交差点から車で一〇分 木造千手観音立像 市・彫刻平成一八年八月二九日指定 黒部市嘉例沢一五三一観音堂(嘉例沢集落歴史保存会) 山村集落で中世の文化地域が伺われる、嘉例沢の観音堂に古くから安置されていた。千手観音は千の手と、千の眼で苦難と悩みをもつ人々を救う働きと、やさしさが無限であることを象徴していて、その意味での究極の仏である。 様式は一一面四二臂の通常の千手観音立像であるが、現在は九面二三臂で面と臂が欠落している。像の高さは三一㌢で、木寄せは不明であるが、玉眼(目の中に水晶をはめ込む)、漆箔(仏像彫刻などで漆を塗った上に金箔を押した技法)を用い、顔の頬が円くたっぷりしていること、腰から下に着けている裳の襞がおとなしく、柔らかな面で表されていることなどから安土桃山時代から江戸前期の特徴がある。全体から受ける印象は容姿、端麗にして、目はうつむきかげんな眼差で仏の慈しみの心を感じさせる。 市内に残るこの時代の代表作の一つである。 嘉例沢集落は平成一二年から住む人が居なくなり、歴史ある観音堂が朽ち果てる事に心を痛めた村民は嘉例沢集落歴史保存会を結成し、観音堂を新たに建立し、この木造千手観音立像や他の仏像を保管、村民の心の拠り所として後世に保持し伝え残す機運が高まった。 ●富山地方鉄道「電鉄黒部駅」下車、池尻行きバスで「田籾」下車、徒歩一時間三〇分 または、国道八号田家交差点から車で四〇分 千光寺の阿弥陀如来立像 市・彫刻昭和三六年一二月二六日指定黒部市宇奈月町明日六八八(千光寺) この阿弥陀如来立像は、明日の千光寺に安置されている。 貞享二年(一六八五)の千光院の書き上げによれば、千光院の創建は大同元年(八〇六)で、開山は秀証である。堂宇は天正元年(一五七三)に再建されているが、寺屋敷は村人たちより寄進されたと記されている。明日山にはかつて一六の坊があったといわれるが、千光院も明日山の一坊と伝える。その後次々となくなり、花蔵坊(現・法福寺)と福蔵坊(千光院、現・千光寺)の二箇寺だけとなったという寺伝もある。 もと法福寺と隣接していた千光院は、嘉永四年(一八五一)現在地に移転し、その後、昭和二七年に千光寺と改称した。 千光寺の阿弥陀如来立像は、善光寺式阿弥陀如来立像で、尊顔は面長で平滑である。衣紋は流麗で、像の目方も重く、室町時代の特徴を表している。 像は鋳造で、高さ五〇㌢、肩幅一五㌢である。足の柄に 「天和三年(一六八三)七月一五日 藤原善光大坂天神橋□□」の修理銘がある。 ●富山地方鉄道「愛本駅」下車、徒歩三〇分 芸術・文化 黒部市の文化財 黒部市年表 市準指定文化財 旧黒部市年表 旧宇奈月町年表 語りつぎたい黒部人 ~黒部に足あとを残した人々~ 教育委員会の後援を受けたいのですが。 黒部市史、宇奈月町史を購入したいのですが。 黒部にはどんな文化財がありますか。 国の記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財 国指定文化財[天然記念物] 県指定文化財[天然記念物] 県指定文化財[史跡] 県指定文化財[民俗文化財] 市指定文化財[古文書] 市指定文化財[建造物] 市指定文化財[名勝] 市指定文化財[歴史資料] 市指定文化財[史跡] 市指定文化財[彫刻] 市指定文化財[絵画] 市指定文化財[民俗文化財] 市指定文化財[天然記念物] 黒部市コンベンション開催支援補助金 国指定重要無形民俗文化財