ホーム お知らせ 【ダイジェスト版】語りつぎたい黒部人 vol.19 鍛冶 良作 【ダイジェスト版】語りつぎたい黒部人 vol.19 鍛冶 良作 2011年3月2日更新 このページを印刷する シェア ツイート 鍛冶 良作(1895-1980) 正義感が強く ふるさとを大切にした政治家 鍛冶 良作(かじ りょうさく) ■政治家になるために上京 生地出身の鍛冶良作は、20歳の時に政治家を志して上京し、国会議員の谷欽太郎氏( 魚津市出身) の門を叩き、書生として置いてもらうことになりました。中学を出ていなかった良作は、まず正則英語学校に入り、朝から晩まで猛勉強し、基礎となる知識を身につけました。谷氏が帰郷すると、朝の6時から2時間納豆を売って生計を立てました。 その後、大正7年に明治大学予科(旧制高等学校)を、大正10年に明治大学法学部を卒業しました。志を高くもち、猛勉強を続けた良作は首席で大学を卒業し、卒業生総代として答辞を述べました。 そして大正11年2月、弁護士試験に見事合格し、27歳で法律事務所を開業しました。 ■国会議員に当選 政治に興味があった良作は、弁護士をしながら選挙運動をし、52 歳で念願の国会議員に初当選し、富山県の重要課題であった漁業問題と農業問題に特に力をいれて政治活動を行いました。 出身地の生地は漁村で、北洋で漁を行っていた漁師は、敗戦後、漁ができず困っていました。良作は、生地鼻灯台の建設や、近海漁業の開発、遠洋漁業の権利拡大の交渉等に懸命に取り組み、その結果、再び漁ができるようになりました。 また、農業問題でも、保水性が低く、作物が育ちにくかった黒部川扇状地の水田の土質を改良すべく、流水客土事業(vol.4参照)実現のため力を注いだことにより、水田は保水性が増し冷害は減り農家の収入も増えました。 ■郷土のために尽くす 終戦後、良作は戦時中に県から日本発送電株式会社に権利が移った電気事業を、県に返してもらうための「県営電気復元運動」や、黒部ダム建設に伴い、黒部ダムから宇奈月(黒部第四発電所から作郎谷)までの観光ルート開設を求める「黒部ルート開放運動」などに政治生命を懸けて取り組みました。 『人は郷土より出で、郷土に帰る』を座右の銘とした良作は、まさに郷土を愛し、郷土のために働き続けました。 西 暦 年 齢 項 目 1895 生地町に生まれる 1915 20 上京し、谷欽太郎家の書生となる 1921 26 明治大学法学部を卒業する 1922 27 弁護士試験合格。法律事務所を開く 1932 37 神田区議会議員に当選する 1947 52 富山第1区より衆議院議員に当選する(以降7回当選 在職期間18年4か月) 1960 65 裁判官弾劾裁判所裁判長を務める 1976 81 黒部市名誉市民となる 1980 85 逝去 最新のお知らせ 令和6年度 黒部市漁業担い手確保・育成支援事業 「漁師学校 in 黒部」を開催します! 黒部市職員採用情報 10月はピンクリボン月間です 10月20日は世界骨粗しょう症デーです 明日を拓く「くろべ創業塾」 富山県(地域別)最低賃金が改定されました 令和7年度 保育所・幼稚園・認定こども園の園児を募集します 「とやま環境フェア2024」が開催されます! お知らせ一覧へ お問い合わせ 教育委員会 生涯学習文化課 〒938-8555 黒部市三日市1301番地 電話番号:0765-54-2764 FAX番号:0765-54-2702 このページの担当へ問い合わせを送る