ホーム お知らせ 荻野 幸作(おぎのこうさく 1911-1992) 市民は今、何に悩んでいるのか 時代をみすえた信念の政治家 荻野 幸作(おぎのこうさく 1911-1992) 市民は今、何に悩んでいるのか 時代をみすえた信念の政治家 2009年2月6日更新 このページを印刷する シェア ツイート ■住民の健康を守る 富山の病院は、戦争で焼けてしまった。これからは、地元にわたしたちの健康を守る病院を作らなくてはならない―。 昭和22年(1947)、荻野幸作さんが桜井町長(現在の黒部市)になってすぐに、三日市で病院建設工事が始まりました。この病院は、「桜井町国民健康保険組合直営組合立下新川厚生病院」といい、黒部市民病院の前身ともいうべき病院でした。 翌年に建物は完成しましたが、それで終わるわけではありません。病院には他にもたくさんのものが必要です。この病院の基礎作りは、初代院長として招かれた草野久也先生(くさのひさや)に託されました。草野先生が、思い描く理想の病院像の1つに、こんなことがありました。 ―病院の仕事は、完全な医療を行うことで、そのためには施設の充実と、医療スタッフのたゆまぬ研究が必要である―。 幸作さんは、草野院長に全幅の信頼を寄せ、ともに病院づくりに励みました。まずは、優秀なお医者さんの確保が大切です。当時は、どこもお医者さんが足りませんでした。都会でも不足しているお医者さんですから、黒部まではなかなか来てくれません。幸作さんは、研究できる施設を整え、優秀なお医者さんが集まってもらえるような環境を作りました。そして草野院長とともに、あちこちへお医者さんに来てもらえるよう頼みにも行きました。 時とともに、病院に来る患者さんが増えて廊下にあふれるほどになったため、ベッド数を増やすなどの増築を重ねていきました。また、医療技術の向上とともに、患者さんの要望も高まったため、診療科を増やしたり、全国的にも早い時期に感染病棟を設けたりして、次々と増築・改修をしました。これらは、非常にお金がかかり、黒部市の財政が苦しくなる事業でしたが、幸作さんは、草野先生を信じ、市民の幸福を信じてがんばりました。 ― 行政にはいろいろしなければならないことがたくさんある。健康な人も大事だが、病気になっている人を守るのが先だ。寝たきりとか認知症で悩んでいる人のことを考えなくてはならない。ものは言えないけれど悩んでいる人のことを、行政が1歩進んで解消していかなくてはならない ―。 幸作さんが、病院づくりに力を入れたのは、こんな思いもあったようです。のちの人々の努力もあって、昭和44年には、近隣住民の健康を守る総合病院となり、黒部市民病院の基礎となりました。 【下新川厚生病院前にて(前列右から2番目が草野院長】 ※ 黒部市の心技体(しんぎたい) 人は、「心技体が大切」と言われます。「心」=精神力。「技」=技術。「体」=体力。幸作さんは、市を人と同じと考え、黒部市の心技体とは何かを考え、その3つのバランスが健全であるようにと考えていました。中でも、病院を「技」に位置づけ、基礎づくりに力をつくしました。 (続きを読む・・・) 最新のお知らせ 防災まちづくり講演会を開催します! 【小学生限定】宇奈月温泉スキー場のリフト料金無料デーを開催いたします 令和6年度黒部市高齢・障がい福祉施設等物価高騰対策支援金について 大雪に関する情報はこちらから(令和7年2月10日更新) 宇奈月温泉スキー場からの大雪に関するお知らせ 第7回マイプロジェクト発表会を開催します! 【2/21(金)】 JRにおける精神障害者割引制度の導入について 「第2期黒部市スポーツ推進プラン(案)」に関する市民パブリックコメントの実施について お知らせ一覧へ