ホーム お知らせ 草野 久也(くさのひさや 1904-1984) 「日々念心」地域医療につくした医聖 草野 久也(くさのひさや 1904-1984) 「日々念心」地域医療につくした医聖 2009年2月6日更新 このページを印刷する シェア ツイート ■人々の命と健康を守る病院 立山連峰から小さな点が近づいてきます。やがて、大きなエンジン音を響かせたヘリコプターの姿がはっきりとわかります。どうやら立山連峰で遭難した人を運んでいるようです。ヘリコプターは黒部市民病院に向かい、屋上のヘリポートに直接着陸しました。すぐに、お医者さんや看護師さんなど病院のスタッフが駆け寄り、患者さんが治療室に運ばれました。山奥の遭難場所からわずか数十分で病院での治療を始めることができました。きっと、また、ひとつの命が救われたはずです。 【ヘリポートでの救助訓練】 黒部市の市街地に立つ黒部市民病院は、地域の拠点病院として、私たちの生命や健康を守り、私たちの生活に大きな安心を与えてくれます。病気になったときや怪我をしたとき、その処置や回復、日ごろの健康管理など、きめ細やかな診療が行われています。みなさんも診察や治療、急な病気や怪我、また、健康診断でこの病院を訪れた人も少なくないはずです。 しかし、わずか60年ちょっと前までは、この病院はありませんでした。では、それまで病気になった人たちはどうしていたのでしょうか。 ■近くに病院がなかったころ 以前からお医者さんという仕事はありましたが、どの町や村にもお医者さんがいたわけではありません。薬が高価であったり、難しい手術を行う施設や技術がなかったりと、ちょっと風邪をこじらせただけでも亡くなってしまう人さえありました。 昔から知られた薬草などを用いる伝統療法はありましたが、今のように、悪いところを手術で取ったり、一度にたくさんの人たちに流行する病気を防いだりすることはなかなかできませんでした。そのため、悪い病気を抱えたまま亡くなってしまう人や、短い間にたくさんの人に伝染病が広がることもありました。また、病気や怪我が治っても、もとのように仕事にもどれないこともあったのです。 病院がない土地までお医者さんがやってくるには、鉄道や道路の整備もまだこれからで自動車も珍しかったころでしたから、簡単に町や村を行き来するわけにはいきませんでした。多くの人が、新しい医療技術をもち、施設や設備の整った病院が地域にあることを望んでいました。 (続きを読む・・・) 最新のお知らせ 【2/28(金)~3/2(日)】インターネット相談窓口等の受付停止のお知らせ KOKOくろべで「健活」&「クラフト体験」 大雪に関する情報はこちらから(令和7年2月17日更新) 防災まちづくり講演会を開催します! 令和6年度黒部市高齢・障がい福祉施設等物価高騰対策支援金について 宇奈月温泉スキー場からの大雪に関するお知らせ 第7回マイプロジェクト発表会を開催します! 【2/21(金)】 JRにおける精神障害者割引制度の導入について お知らせ一覧へ