ホーム お知らせ 寺島 権蔵(てらしまごんぞう 1888-1940) 寺島 権蔵(てらしまごんぞう 1888-1940) 2009年2月6日更新 このページを印刷する シェア ツイート ■黒部川を治める みなさんがよく知っているように、黒部川はあばれ川として有名で、農家の人たちは、洪水のたびに苦しんできました。また、反対に、日照りが続くと水不足になやまされてきました。 かつて、農家の人々は農業用水の取り入れ口を黒部川に求めていました。水を取り入れるために、取り入れ口に石を積み重ねたり、じゃかごを入れたりして、川の流れの一部をせき止めました。さらに、水もれがしないように木の葉やむしろ、古い俵なども入れました。 しかし、黒部川では毎年のように洪水が起こり、そのたびに取り入れ口がこわされて、石や土砂でうまってしまいました。そうすると、用水に水が来なくなってしまうのです。 農家の人たちは、水を得るために取り入れ口の修復をしなければなりませんでした。もちろん、現在のように機械などない時代でしたから、それは大変な労力を必要とすることでした。ひどいときには、直してやれやれ一安心と家に帰ると、その日の夜中に大雨が降って押し流され、翌朝またやり直しということもありました。 反対に、雨の少ないときには、黒部川の水かさが減り、上流部に住む人と下流部に住む人との間で、水の取り合いでけんかになることもありました。 このように、農家の人々は、毎年のように水害や日照りによる害になやまされ続けてきました。ですから、「いつでも安心して使用できる水が欲しい。」というのが黒部川流域に住む人々の長年の願いでした。その願いを実現するために、大きな力を注いだ人の一人が権蔵さんです。 大正14年(1925)、黒部川の左岸に住む人々が黒西用水組合を設立して、黒部川電力株式会社や県や国に対して、次のような申し入れをしました。 ・ 愛本橋の下流40mの地点に水をせき止める堰堤(※1)を作り、左右にある合口用水へ水を引く。 ・ 黒部川電力が堰堤と水路をつくり、合口用水へ流す水を無料で使用させる。 ・ 総工費250万円のうち157万円は黒部川電力が負担する。 この事業を進めるため、権蔵さんは県会議員の森丘正唯さん(もりおかまさただ)たちと県や国に働きかけて費用を出してもらい、県の事業として合口用水を完成させることができました。 このようにして、現在の黒西合口用水は、昭和4年(1929)に着工して、3年後に完成しました。黒西とは、「黒部川の西側」、合口とは「いくつもの用水の取り入れ口を1つにまとめた」という意味です。この用水の完成によって、洪水のときも日照りが続くときも安定した水が得られるようになり、人々は大変喜び、権蔵さんたちに感謝したということです。 ※1 愛本堰堤 あいもとえんてい 堰堤とは、川水を田に引いたり、流れを緩やかにしたりするための堤防です。昭和7年に黒部川扇状地の用水へ水を引くことと、発電事業を行うことを目的として築かれました。昭和44年の大洪水で流失してしまったため、元の場所より約150m上流に現在の愛本堰堤が作られました (続きを読む・・・) 最新のお知らせ 令和6年能登半島地震による法人市民税等の申告・納付等の期限の延長について 令和6年度「農業経営のてびき」を作成しました 申請はお済ですか?「非課税世帯等価格高騰支援給付金(追加)」の申請は30日までです 春の農業用水路転落事故防止強化期間について 「第3次黒部市子ども読書活動推進計画」を策定しました 「第2次黒部市立図書館サービス計画」を策定しました 黒部市立あおーよ図書館ボードゲームイベントについて 令和6年6月定例会の日程をお知らせします お知らせ一覧へ