ホーム お知らせ 寺島 権蔵(てらしまごんぞう 1888-1940) 寺島 権蔵(てらしまごんぞう 1888-1940) 2009年2月9日更新 このページを印刷する シェア ツイート ■権蔵橋の設立 平成14年(2002)5月31日、新しい権蔵橋が完成しました。これによって、道幅が広がったことによる大型車の交通量増加、歩道を新設したことによる交通事故の減少、黒部市と入善町の交流の促進などが期待されています。また、この権蔵橋を含む道路は、北陸自動車道黒部インターチェンジとこれからできる北陸新幹線の新駅へアクセスするための大変重要な道路となるでしょう。 現在はいくつもの橋で便利に渡ることができるようになった黒部川ですが、昔は橋がなかったため、室町時代に大竹一竿を持って渡ったという記録が残っています。その後、明治9年には、若栗村(現在の黒部市若栗)から小摺戸村(現在の入善町小摺戸)まで渡し船を使ったという記録も残っています。昔の人は、黒部と入善を行き来するのに、お金をはらって舟に乗っていたのです。その渡し舟も、川の水が増えすぎたり少なくなったりするたびに動かすことができなくなって、大変不便でした。何日もの間、商売に行けなくなってしまうこともしばしばありました。 そこで、権蔵さんが地元のために、昭和7年、吊り橋(長さ108m、幅1.8m)をかけました。人々は便利になって、大変喜びました。 【昭和7年に架けられた橋 昭和9年に流失】 しかし、2年後の大洪水で、この吊り橋は押し流されてなくなりました。せっかくの橋がなくなってしまい、人々はとてもがっかりしました。 そこで、昭和12年、再び権蔵さんの努力で、木橋(長さ541m、幅8m)が完成しました。これは、前の吊り橋と比べると、長さも幅も大きくとても立派なものでした。地元の人々の喜びは大きなものでした。 橋の名前は、寺島権蔵さんの名前をとって「権蔵橋」と付けられました。それは、人々が権蔵さんに感謝の気持ちをもっていた表れと言えるでしょう。 【昭和12年に架けられた木橋 権蔵橋と名づけられました】 この木橋は、洪水のたびに被害を受け、何度も修理されました。昭和43年に永久橋(こわれにくく長もちする橋)にかけ替えられましたが、これも古くなったため現在の橋にかけ替えられました。 【昭和42年に完成した権蔵橋 写真中央左側は施工中の新橋】 初めて権蔵橋がかけられてから70年以上たった今でも、「権蔵橋」は、地元の人々に親しまれ、権蔵さんの功績を今に物語っています。 橋に人の名前がつけられているのは、全国的にとても珍しいそうです。みなさんも権蔵橋を渡るときには、寺島権蔵さんという地元のために力をつくした人がいたことを思い出してみてください。 【現在の権蔵橋につけられているプレート 黒部川左岸にあります】 ※ 茶枕西瓜(ちゃまくらすいか)の寺島君 衆議院議員時代の権蔵さんは、お世話になった方々に黒部西瓜を贈っていたそうです。当時の町田総裁は、黒部西瓜の形が茶枕に似ていたことから、「茶枕西瓜の寺島君」と呼んでいたそうです。大きさといい形といい黒部西瓜はとても珍しく印象深かったのでしょうね。 (続きを読む・・・) 西暦 年齢 項目 1888 三日市町に生まれる 1909 21 長野の中学校を卒業する 1913 25 早稲田大学政治科を卒業する 1924 36 衆議院議員となる 1925 37 三日市町長となる 1932 44 黒西合口用水が完成する 1932 44 権蔵橋(吊り橋)が完成する 1937 49 権蔵橋(木橋)が完成する 1937 49 衆議院を代表して、中国へ兵士慰問に行く 1940 52 東京で亡くなる 最新のお知らせ 【2/28(金)~3/2(日)】インターネット相談窓口等の受付停止のお知らせ 4/13(日)マイナンバーカードの休日窓口を開設します KOKOくろべで「健活」&「クラフト体験」 大雪に関する情報はこちらから(令和7年2月17日更新) 防災まちづくり講演会を開催します! 令和6年度黒部市高齢・障がい福祉施設等物価高騰対策支援金について 宇奈月温泉スキー場からの大雪に関するお知らせ 第7回マイプロジェクト発表会を開催します! 【2/21(金)】 お知らせ一覧へ