ホーム お知らせ 寺島 権蔵(てらしまごんぞう 1888-1940) 寺島 権蔵(てらしまごんぞう 1888-1940) 2009年2月6日更新 このページを印刷する シェア ツイート ※ 橋がなかったころ 江戸時代に入るまで、黒部川には橋が1つもかけられていませんでした。それには2つの理由がありました。1つは、橋をかけるには多くの費用がかかるということ。もう1つは、橋をかけてしまうと、外からの敵が侵入しやすくなると言うことです。この時代は各地に大名たちがいて、お互いに権力を争っていたのです。ですから、黒部川を渡るときは、浅瀬を歩くか舟に乗るしか方法がありませんでした。 ※ 現在の黒部川にかかる橋 現在、黒部川の河口から宇奈月温泉までの間に合計11本の橋がかけられています。 下黒部橋(508.2m 昭和41年) JR北陸線橋梁(504.0m 昭和39年) 四十八ヶ瀬橋(590.1m 平成13年) 黒部大橋(570.8m 昭和33年) 黒部川橋(770.6m 昭和57年) 権蔵橋(535.0m 平成14年) 新川黒部橋(536.0m 昭和61年) 愛本橋(130.0m 昭和47年) 音沢大橋(167.5m 昭和55年) 音沢橋(110.0m 昭和46年) 想影橋(107.3m 昭和42年) コラム 愛本刎橋(あいもとはねばし) 【文久3年(1863)に架橋された愛本刎橋。江戸時代以降、計8回も架け替えられました。この写真は最後の愛本刎橋】 黒部川に初めて橋がかけられたのは、寛文3年(1626)で、「打渡橋(うちわたしばし)」がかけられたという記録があります。しかし、どんな姿の橋だったのかはわかっていません。 黒部川の本格的な架橋は「愛本刎橋」に始まります。寛文2年(1662)、黒部川が一番狭くなっている場所―愛本―にかけられました。刎橋とよばれるこの橋は、橋脚が1本もないのが特徴です。川の両方の岸から、刎木(はねぎ)と呼ばれる材木を差し出し、その先をつなぎ合わせてつくった橋です。その形が珍しく、美しい姿だったので、山口県の錦帯橋(きんたいきょう)、山梨県の猿橋(さるはし)とともに、日本三奇橋の1つとして有名です。 『語りつぎたい黒部人~黒部に足あとを残した人々』へ戻る 最新のお知らせ 【2/28(金)~3/2(日)】インターネット相談窓口等の受付停止のお知らせ 4/13(日)マイナンバーカードの休日窓口を開設します KOKOくろべで「健活」&「クラフト体験」 大雪に関する情報はこちらから(令和7年2月17日更新) 防災まちづくり講演会を開催します! 令和6年度黒部市高齢・障がい福祉施設等物価高騰対策支援金について 宇奈月温泉スキー場からの大雪に関するお知らせ 第7回マイプロジェクト発表会を開催します! 【2/21(金)】 お知らせ一覧へ