ホーム お知らせ 野島 好二(のじまこうじ 1905-1992) 野島 好二(のじまこうじ 1905-1992) 2011年1月26日更新 このページを印刷する シェア ツイート ■野島家に生まれて 明治38年(1905)、入善町舟見に野島好二さんは生まれました。野島家は代々続く地元の名家でした。しかし、父が早くに亡くなって破産状態に陥ってしまったため、母のみつさんは三人の子どもを育てるために先生として働く決心をしました。 みつさんが和洋女子専門学校(現在の和洋女子大学)で学ぶ間、好二さんは親戚の家で育てられました。5年後、みつさんは、魚津小学校の先生として帰ってきて、子どもたちの教育に情熱を燃やしました。そんな母の姿を見て、好二さんは自分も先生になろうと思ったのです。 富山県立師範学校(現在の富山大学)を卒業し、小学校の先生として勤めることになりました。日々の授業を行う中で、子どもたちにわかりやすく女性の歴史を教えたいと思うようになった好二さんは、26歳の時に最初の著書『日本女性史物語』を出版しました。 ■失われていく郷土史を守りたい 「祖先はどんな暮らしをしていたのだろう?」 そんな思いから、地元のことを少しずつ調べ始めました。 好二さんが郷土史に興味をもったのは、小学校の担任が歴史好きだったことに影響を受けています。昔のことを調べていくうちに、どんどん知りたいことが出てきました。昔の本を読んだり、古くから住む人の話を聞いたり、現地へ出かけて調べてみたりしました。 自分で調べていくうちに新しいことがわかって喜んだり、さらにわからないことが出てきて調べたり、研究はつきることがありませんでした。ある時に応募した研究が表彰され、「こんな僕でもやればできるんだ!」と嬉しくなり、好二さんの研究熱は高まるばかりでした。 「文化財を守っていくには、これからの将来を背負う子どもたちに、文化財の大切さを教えていかねばならない。そのためには、もっとわかりやすい、子どもたちに親しまれる本が必要だ!」 好二さんは、寝る暇も惜しんでペンを取り、次々と文化や歴史の本を出版していきました。 ※ 母の遺言 ―日本文化を守る― 母みつさんが亡くなる前、「戦争のために永い間きずきあげてきた日本の文化がほろんでいくのは淋しい。」ともらしたことがありました。好二さんは、この言葉を母の遺言と受け止め、歴史・文化の保護にますます情熱を傾けるようになったのです。 (続きを読む・・・) 最新のお知らせ 【2/28(金)~3/2(日)】インターネット相談窓口等の受付停止のお知らせ 4/13(日)マイナンバーカードの休日窓口を開設します KOKOくろべで「健活」&「クラフト体験」 大雪に関する情報はこちらから(令和7年2月17日更新) 防災まちづくり講演会を開催します! 令和6年度黒部市高齢・障がい福祉施設等物価高騰対策支援金について 宇奈月温泉スキー場からの大雪に関するお知らせ 第7回マイプロジェクト発表会を開催します! 【2/21(金)】 お知らせ一覧へ