ホーム お知らせ 佐々木 助七(ささきすけしち 1865-1945) 佐々木 助七(ささきすけしち 1865-1945) 2009年2月6日更新 このページを印刷する シェア ツイート ■山の開発や登山の始まり 【吊り橋を渡る人々】 やがて、明治時代になって山の開発や登山などで人々が谷の奥に入るようになると、温泉や宿舎の食料や生活用品を担ぎ上げる負荷や、登山者のガイドをする山案内(※3)の仕事が出てきました。山でえものや山菜、炭を担いでいた山仕事の人々はそうした仕事に大変役に立ちましたし、地形や気象、季節の変化など山の隅々まで詳しいことから山案内人としても欠かせない力をもっていました。 助七は、だれにも負けぬ多くの知恵と経験を身につけていたうえ、おそらく特別な素質ももっていたのでしょう。やがて、師匠を超え、弟の仁次郎(にじろう)とともに、この辺りでは並ぶもののない山人として知られるようになります。山仕事に加えて山案内をするようになり、吉沢庄作(よしざわしょうさく)、木暮理太郎(こぐれりたろう)、塚本繁松(つかもとしげまつ 朝日町出身)など当時の山岳会で活動を広げていた登山家たちとともに黒部の山々に入ります。助七に案内された人々がその後黒部の魅力をたくさんの人たちに知らせることになったのは言うまでもありません。そうした人々の一人に井上江花(いのうえこうか)がいます。 【立山山頂にて(左 佐々木助七 右 吉沢庄作】 ※3 山案内人 山岳探検が始まっても、まだ、今のような地図はありませんでしたし、地図ではわからないことも多くありました。そのため、登山者は、山に精通した人を山案内人、ガイドとして雇いました。現在でも山ガイドは、まだ知られていない山の探検に欠かせない存在です。 (続きを読む・・・) 最新のお知らせ 令和6年度「農業経営のてびき」を作成しました 申請はお済ですか?「非課税世帯等価格高騰支援給付金(追加)」の申請は30日までです 春の農業用水路転落事故防止強化期間について 「第3次黒部市子ども読書活動推進計画」を策定しました 「第2次黒部市立図書館サービス計画」を策定しました 黒部市立あおーよ図書館ボードゲームイベントについて 令和6年6月定例会の日程をお知らせします 黒部市地域公共交通計画の策定について お知らせ一覧へ