ホーム お知らせ 佐々木 助七(ささきすけしち 1865-1945) 佐々木 助七(ささきすけしち 1865-1945) 2009年2月6日更新 このページを印刷する シェア ツイート ■黒部探検団を案内する 井上江花は、登山家ではなく、高岡新報社という新聞社の記者です。江花が書いた記事の中でも、富山から始まり日本の政治を動かした「米騒動」を伝えた記事はとても有名です。彼は富山の素晴らしさを伝える記事もたくさん書きました。「北陸探検団」という集まりを作って、さまざまな場所の珍しいものを取材し、記事にしています。 明治42年(1909)、江花はその興味を、そのころはごく一部の限られた人にしか知られていなかった秘境黒部に向けます。黒部奥山は得体の知れない奇怪な生き物がいて、奇妙な出来事などが起きるところとさえ思われていた場所だったそうです。 江花は黒部を自分の目で確かめ、そして、その信じられない景観を本にまとめて出版します。当時では珍しい写真入りの黒部探検記は、黒部奥山の本当の姿を伝えるものとして多くの人々を驚かせました。江花の黒部探検団の案内をしたのが、助七でした。 探検隊は大変な苦労をします。登山家でもない江花には、どんな場所もつらく厳しいものです。ウナズキ平(現在の宇奈月温泉)から柳河原(やながわら)に向かい、黒部本流をはなれ黒薙川(くろなぎがわ)に沿って黒薙温泉に入ります。ここはすでに山宿があり、よい温泉として知られていました。ここで一泊した江花は翌日鶏冠山(とさかやま 突坂山、1,504m、黒部市)に登ります。道もなく急な険しい登山です。 はいつくばるように山頂に立った江花は膝の痛みを覚えます。しかし、ここからの下りはひとつ間違うと命がありません。真っ逆様に数百m下の黒部川に転落です。江花の苦しみを救ったのは助七でした。ねずみさえ上れないことで「ねずみ返し」と呼ばれる急ながけでさえ、米を背負ったまますいすい登っていったと言われる助七は、足がかりのないがけに腕や足、ときには体全体を使って、まるでがけに生えた大木や岩のように江花の手がかり足がかりとしました。そのおかげで江花は、かつて山猿の生まれ変わりとさえ言われた六兵衛が落ちたという難所をこえ、無事鐘釣温泉(かねつりおんせん)に到着できました。助七がいなければ命さえなかったかもしれません。 その先の猿飛峡(さるとびきょう)でも川に降りたいという江花を助七はロープ1本で支えたり、万年雪のスノーブリッジに歩きやすいよう一歩一歩の切れ込みを作ったり山の知恵と強い体を探検に活かしました。 探険の最後の目的地、大黒岳(だいこくだけ 標高2,390m、黒部市・長野県白馬村)への道も大変厳しいものでした。何度も気力を失いそうになる探検隊を励ましたのが弟の仁次郎です。きつく、厳しい場面になると、仁次郎は「おもっしいなあ」と楽しそうに叫びます。心から楽しそうに「おもっしい、おもっしい」と叫ぶ仁次郎に励まされるようにして、探検隊はどうにか大黒岳に達します。 山に生まれ、山に憧れ、山にくらし、山とともにたくましく生き延びてきた助七、仁次郎の知恵と生命力が、江花らに力を与え、探検を成功させたのです。 江花の書いた記事や本は多くの人々に読まれ、こののち黒部峡谷はどこにもない険しさと美しさをもった場所として知られるようになり、山岳家ばかりでなく、一般の人々の憧れの地になっていきます。それを支えたのが私たちのふるさとに生きた佐々木助七たちであったこと、また、山のくらしを伝え受けつぎ、育んできた人々の力であったことを、私たちはしっかりと心に刻んでおきたいものです。 黒部の山々はその後の開発でだれもが気軽に訪ねられる場所になりましたが、その本当の険しさの多くは、助七の時代と何ら変わりなく、今もそのままの時間を過ごしているのでしょう。いつか、そうしたものを目にする機会があるかもしれませんね。 コラム 井上江花(いのうえこうか 1871~1927) 金沢市に生まれ、大阪や東京で暮らした後、金沢にもどる。高岡新報社からの誘いで富山支局の担当となり、以後一生を富山の新聞記者として過ごします。地域の姿を掘り起こし、また、その価値を適切に描いた記事には定評があります。江花の記事によって多くの人に知られるようになった場所も多くあります。 大正7年(1918)シベリア出兵を期に米価が高騰。不満を抱えた魚津の住民らが、米を問屋から運び出されるのを阻止。この事件を江花は、「越中女一揆」の見出しで新聞に掲載。主婦らが米問屋に押しかける騒ぎは各地に広がり、江花は社会への不満の現れと書き立てます。騒ぎの拡大をおそれる県はこれを発行中止としますが、暴動はやがて全国に広がり、のちに「米騒動」と呼ばれました。事件の責任をとって、当時の内閣が総辞職するまでとなったきっかけは江花の記事だったのです。 『語りつぎたい黒部人~黒部に足あとを残した人々』へ戻る 西暦 年齢 項目 1865 音沢村に生まれる 1881 16 このころはすでに猟に出ていた 1909 44 井上江花の黒部探検を案内 1910 45 井上江花『越中の秘密峡、黒部山探検』出版。黒部奥山の様子が写真つきで紹介される 1913 48 吉沢庄作を剱岳へ案内 1919 54 木暮理太郎を下ノ廊下へ案内 塚本繁松らを案内し、黒部の山々を歩く 1945 80 亡くなる 最新のお知らせ 黒部市手話講習会入門講座の受講者募集 黒部市歴史民俗資料館 メタバースに「愛本刎橋」が登場! 能登半島地震に関連する市からの情報 黒部市立地適正化計画改訂版の公表について 石田漁港の釣桟橋は、4月10日(水)から利用できます! 令和6年度 当初予算の概要 令和6年度市民農園新規利用者 随時募集中!! 令和5年度 詩の道句集事業 選定結果のお知らせ お知らせ一覧へ