ホーム お知らせ 【ダイジェスト版】語りつぎたい黒部人 vol.20 荻野 幸作 【ダイジェスト版】語りつぎたい黒部人 vol.20 荻野 幸作 2011年3月3日更新 このページを印刷する シェア ツイート 荻野 幸作(1911-1992) 時代をみすえた信念の政治家 荻野 幸作 ■住民の健康を守る 荻野幸作は、明治44年(1911)荻生村に生まれ、昭和22年に桜井町長になりました。翌年、現在の黒部市民病院の前身となる病院が三日市に完成し、幸作は病院の基礎づくりに励みました。初代院長として招かれた草野久也(vol.14参照) に全幅の信頼を寄せ、優秀な医師の確保や患者の増加に伴う増築・改修、感染病棟の設置等を積極的に行いました。その結果、後の人々の努力もあり、昭和44年には住民の健康を守る総合病院となり、黒部市民病院の基礎となりました。 ■まちの基盤づくり 桜井町は生地町と合併して黒部市となったものの、勤め先が少なく、出稼ぎに行かないと暮らしていけないまちでした。その頃、吉田工業株式会社( 現在のY K K 株式会社)社長の吉田忠雄(vol.15参照)が工場建設地を探しているということを知り、さっそく幸作は忠雄のもとに出向きました。忠雄のファスナー工場への夢と、日本経済の将来についての話に感銘を受け、土地を無償で提供するのでぜひ黒部に工場を建てて欲しいと交渉しました。忠雄は、幸作の善意と期待に心打たれ、黒部市に工場を建てることを決意しました。 忠雄の返事をもらうと、幸作は周辺住民の家を訪ねて説得にあたり、3万坪の敷地を用意することができ、地元に働く場所が欲しいという市民の願いを叶えました。 ■流水客土 幸作は周辺の町村長とともに、黒部川扇状地の度重なる洪水、保水性の低い土壌により作物が育たないという農業問題解決のため、流水客土事業(vol.4参照)の実現に向けて奔走しました。流水客土を行うためには大量の水が必要で、水利権のある企業に水を分けてもらうようお願いをしました。粘り強い交渉により企業の賛同を得ることができ、黒部川左岸の流水客土事業は昭和28年から6年間かけて実施され、黒部川扇状地の田からは、たくさんの米がとれるようになりました。 その後、富山県議会議員、黒部川左岸土地改良区理事長などを歴任し、地域の発展のために尽力した幸作は80歳で逝去しました。 西 暦 年 齢 項 目 1911 荻生村に生まれる 1929 18 魚津中学校を卒業する 1937 26 荻生村村会議員となる 1947 36 桜井町長となる 1954 43 初代黒部市長となる 1959 48 富山県議会議員となる 1964 53 黒部川左岸土地改良区理事長となる 1976 65 富山県土地改良事業団体連合会長となる 1992 80 逝去 最新のお知らせ 【2/28(金)~3/2(日)】インターネット相談窓口等の受付停止のお知らせ KOKOくろべで「健活」&「クラフト体験」 大雪に関する情報はこちらから(令和7年2月17日更新) 防災まちづくり講演会を開催します! 令和6年度黒部市高齢・障がい福祉施設等物価高騰対策支援金について 宇奈月温泉スキー場からの大雪に関するお知らせ 第7回マイプロジェクト発表会を開催します! 【2/21(金)】 JRにおける精神障害者割引制度の導入について お知らせ一覧へ お問い合わせ 教育委員会 生涯学習文化課 〒938-8555 黒部市三日市1301番地 電話番号:0765-54-2764 FAX番号:0765-54-2702 このページの担当へ問い合わせを送る