ホーム お知らせ 【ダイジェスト版】語りつぎたい黒部人 vol.18 寺島 権蔵 【ダイジェスト版】語りつぎたい黒部人 vol.18 寺島 権蔵 2011年3月2日更新 このページを印刷する シェア ツイート 寺島 権蔵(1888-1940) ふるさとの発展のために 権蔵橋の生みの親 寺島 権蔵(てらしま ごんぞう) ■生い立ち 寺島権蔵は、明治21年(1888)三日市町に生まれました。魚津中学校(現在の魚津高等学校)を中退後、長野県の中学校を卒業し、早稲田大学で学びました。卒業後は衆議院議員や三日市町長として国のため、富山県のため、黒部のために一生懸命働き多くの功績を残しました。 ■黒部川を治める かつての黒部川は暴れ川として有名で、農家は洪水のたびに水害にあい、取水が不可能になることも頻繁にありました。反対に、日照りが続くと水不足が起こり「いつでも安心して使用できる水が欲しい」というのが黒部川流域に住む人々の願いでした。 大正14年、黒部川左岸の住民が黒西用水組合を設立し、黒部川電力株式会社や県等に対し、合口用水の建設について要望を提出しました。権蔵は当時県会議員であった森丘正唯( 17 参照)らと県や国に働きかけ、費用を出してもらい、昭和7年に、県営の事業として愛本堰堤と黒西合口用水を完成させました。これにより、常に安定した水が得られるようになり、人々は大変喜びました。 ■権蔵橋の建設 かつて黒部と入善の間を流れる黒部川には橋がなく、その往来には舟を使用していましたが、舟は川の増水や干ばつ時には動かすことができず、大変不便でした。そこで権蔵は、昭和7 年に吊り橋(長さ108m 、幅1.8m )の架橋のために尽力し、完成しましたが、2年後の大洪水で流出してしまいました。 昭和12年、再び権蔵の懸命な働きかけにより橋(長さ541m 、幅8m )が完成し、橋の名前は権蔵の名前をとって「権蔵橋」と付けられました。橋に人の名前がつくことは全国的にも珍しく、それだけ人々が権蔵に感謝の気持ちをもっていた表れと言えるでしょう。 この木橋は、洪水のたびに被害にあい、何度も修理され、平成14年に現在の橋にかけ替えられました。初めて橋がかけられてから70年以上たった今でも、「権蔵橋」は、地元の人々に親しまれ、権蔵の功名を今に物語っています。 西 暦 年 齢 項 目 1888 三日市町に生まれる 1909 21 長野の中学校を卒業する 1913 25 早稲田大学政治科を卒業する 1924 36 衆議院議員となる 1925 37 三日市町長となる 1932 44 黒西合口用水、権蔵橋(吊り橋)が完成する 1937 49 権蔵橋(木橋)が完成する 1940 52 東京で逝去 最新のお知らせ 防災まちづくり講演会を開催します! 【小学生限定】宇奈月温泉スキー場のリフト料金無料デーを開催いたします 令和6年度黒部市高齢・障がい福祉施設等物価高騰対策支援金について 大雪に関する情報はこちらから(令和7年2月10日更新) 宇奈月温泉スキー場からの大雪に関するお知らせ 第7回マイプロジェクト発表会を開催します! 【2/21(金)】 JRにおける精神障害者割引制度の導入について 「第2期黒部市スポーツ推進プラン(案)」に関する市民パブリックコメントの実施について お知らせ一覧へ お問い合わせ 教育委員会 生涯学習文化課 〒938-8555 黒部市三日市1301番地 電話番号:0765-54-2764 FAX番号:0765-54-2702 このページの担当へ問い合わせを送る