ホーム お知らせ 【ダイジェスト版】語りつぎたい黒部人 vol.17 森丘 正唯 【ダイジェスト版】語りつぎたい黒部人 vol.17 森丘 正唯 2011年2月17日更新 このページを印刷する シェア ツイート 森丘 正唯(1880-1967) 「中新のおやっさま」と慕われ農業に生涯を捧げた村長 森丘 正唯(もりおか まさただ) ■日本一若い村長 森丘正唯は明治13年(1880)、大布施村中新に生まれました。17歳の時に大布施村初代村長であった父が亡くなったため、一家の大黒柱となり、さらに中学卒業後、村人たちに推されて大布施村の村長になりました。この時、正唯は20歳、日本一若い村長でした。しかし翌年、村長を辞職し、早稲田大学政治経済学部に入学しました。大学卒業後、日露戦争にも従軍しましたが、大布施村に帰り、再び村長になりました。 ■中新のおやっさま 再び村長になった正唯は「われ農村に生まれ、農村に育ち、農村のために一生を捧げて死ぬのだ」という信条を持ち、大布施村の土地改良事業や農業技術の改善推進等に力を注ぎました。また、人材育成のため明治43年、三日市に下新川郡立農業学校(現在の桜井高等学校)を設立しました。農民から声がかかればどこへでも足を運び、道行く子どもには慈しみと励ましの言葉を掛けるのを忘れなかった正唯は、村人から「中新のおやっさま」と呼ばれ、一家の主のように敬い親しまれました。 ■水の悩みを解消する 古くから暴れ川の異名を持つ黒部川の水を治めることは大変なことでした。そこで正唯が中心となり、昭和7年に愛本合口堰堤と黒西合口用水を建設しました。これにより黒部川流域の農民たちの洪水や水不足の不安が解消されました。この堰堤が、昭和9年の大洪水に奇跡的に被害を受けなかったことに感謝し、正唯らは将来の安全と黒部川流域の繁栄を祈念して黒部川神社を建立しています。境内には正唯の胸像が建てられており、正唯の功績を今に伝えています。 ■地域の発展のために 昭和15年の町村合併によって桜井町が誕生し、正唯は初代町長となりました。黒部市民病院の前身である「桜井町国民健康保険組合長直営組合立下新川厚生病院」の設立を決定したのも、正唯の大きな功績です。地域の発展を願い、尽力し続けた正唯は昭和42年87歳で亡くなりました。 西 暦 年 齢 項 目 1880 大布施村中新に生まれる 1900 20 富山県第一中学校を卒業 大布施村長となる 1901 21 早稲田大学に入学する 1906 26 再び大布施村長となる 1910 30 下新川郡立農業学校設立のために尽力する 1923 43 富山県議会議員となる 1940 60 初代桜井町長となる 1967 87 逝去 最新のお知らせ 【2/28(金)~3/2(日)】インターネット相談窓口等の受付停止のお知らせ KOKOくろべで「健活」&「クラフト体験」 大雪に関する情報はこちらから(令和7年2月17日更新) 防災まちづくり講演会を開催します! 令和6年度黒部市高齢・障がい福祉施設等物価高騰対策支援金について 宇奈月温泉スキー場からの大雪に関するお知らせ 第7回マイプロジェクト発表会を開催します! 【2/21(金)】 JRにおける精神障害者割引制度の導入について お知らせ一覧へ お問い合わせ 教育委員会 生涯学習文化課 〒938-8555 黒部市三日市1301番地 電話番号:0765-54-2764 FAX番号:0765-54-2702 このページの担当へ問い合わせを送る