ホーム お知らせ 【ダイジェスト版】語りつぎたい黒部人 vol.14 草野 久也 【ダイジェスト版】語りつぎたい黒部人 vol.14 草野 久也 2011年2月17日更新 このページを印刷する シェア ツイート 草野久也(1904-1984) 「日々念心」地域医療に尽くした 草野 久也(くさの ひさや) ■下新川厚生病院の建設に向けて 昭和20年(1945)、富山市は大空襲により焼け野原になり、県内の病院が失われてしまいました。当時、桜井町(現在の黒部市)長であった森丘正唯は、地域医療の大切さを感じ病院を建設することを決定しました。しかし当時は医師不足の時代であったことから、病院を束ね、人々が求める医療提供ができる院長を探すのは容易ではありませんでした。そんな折、草野久也のことを知りました。 久也は、明治37年(1904)、泊町(現在の朝日町)に生まれ、京都大学医学部を卒業後、兵庫県や山口県などで、内科医として働いていました。当時、香川県高松市の赤十字病院の院長になることが内定していましたが、久也は赤十字病院を断り、これから建設される下新川厚生病院(現在の黒部市民病院)の院長としての道を選びました。 ■下新川厚生病院の完成 昭和22年12 月、第一期工事が完成し、開院式を挙行した際、久也は開院の辞として、今後の病院運営にあたっての抱負を述べました。それは「日々念心」と呼ばれ、広く医療とは何か、医師とはどうあるべきかを教えてくれる言葉でした。現在も黒部市民病院憲章として掲げられており、その理念が引き継がれています。昭和23年1月、内科、外科、耳鼻咽喉科の3科、ベッド数72という今と比べると小さな規模でしたが、人々が待ち望んだ病院が誕生しました。 ■一診療医として 久也は院長として病院運営に手腕を発揮し、大きな役割を果たしましたが、昭和32年、院長職を退き内科医に専念する決断をしました。それは、患者の言葉に耳を傾けることを大切にしていた久也の、人々に寄り添いながら医療を行いたいとの願いによる選択でした。昭和51年、黒部市名誉市民の栄を受け、昭和59年、79歳で亡くなりました。 黒部市民病院は現在、診療科28科、ベッド数414の県内の中核となる大きな病院に発展し、久也が伝えた「日々念心」の気構えで、地域の拠点として、市民の健康を守っています。 西 暦 年 齢 項 目 1904 泊町(現在の朝日町)に生まれる 1947 43 桜井診療所長として就任 1948 44 桜井町国民健康保険組合直営組合立下新 1957 53 院長を辞職し、内科医長として診療を続 1975 71 名誉院長となる 1976 72 黒部市名誉市民となる。黒部市民病院に 1984 79 逝 去 最新のお知らせ 【2/28(金)~3/2(日)】インターネット相談窓口等の受付停止のお知らせ 4/13(日)マイナンバーカードの休日窓口を開設します KOKOくろべで「健活」&「クラフト体験」 大雪に関する情報はこちらから(令和7年2月17日更新) 防災まちづくり講演会を開催します! 令和6年度黒部市高齢・障がい福祉施設等物価高騰対策支援金について 宇奈月温泉スキー場からの大雪に関するお知らせ 第7回マイプロジェクト発表会を開催します! 【2/21(金)】 お知らせ一覧へ お問い合わせ 教育委員会 生涯学習文化課 〒938-8555 黒部市三日市1301番地 電話番号:0765-54-2764 FAX番号:0765-54-2702 このページの担当へ問い合わせを送る