ホーム お知らせ 【ダイジェスト版】語りつぎたい黒部人 vol.15 吉田 忠雄 【ダイジェスト版】語りつぎたい黒部人 vol.15 吉田 忠雄 2011年2月17日更新 このページを印刷する シェア ツイート 吉田 忠雄(1908-1993) 世界に羽ばたく企業 YKKグループの創業者 吉田 忠雄(よしだ ただお) ■ファスナーとの出会い 吉田忠雄は、明治41年、下中島村(現在の魚津市)に生まれ、探究心旺盛な少年に育ちました。貿易商を志し20歳で上京し、同郷の友人のつてで陶器の輸入商の古谷商店に住み込みで働きました。 昭和8年(1933)世界的な恐慌により、古谷商店が倒産し、忠雄は、主人のすすめで在庫のファスナーの半製品を最終製品に加工し販売することとなり、昭和9年 サンエス商会をおこしました。忠雄を含め従業員わずか3人、これがYKKの前身です。 ■次々と降りかかる困難の中で 忠雄は利益よりも世の信頼を得ることを最優先し、当時、ファスナーの質が悪いなかで、高品質の製品の販売に努めました。昭和13年には、新しい工場を建て、社名も吉田工業所に変更しましたが、昭和20年、東京大空襲により工場が全滅し、一瞬にして全てを失ってしまいました。 ■戦後の苦難と復活 工場を魚津に移し、再建のために懸命に努力した結果、ファスナーは国内では優良品として通用するまでになりました。しかし、昭和22年、忠雄は値段が安く、機能やデザインの点でも非常に優秀な米国製のファスナーを初めて目にし、日米の製品の違いにがく然としました。そこで、高額な米国のファスナー自動製造機を購入し、手作業から機械生産による近代工業に転換しました。 その後、黒部市に伸銅工場、紡績工場などを次々に建設し、原料から製品までを自社で生産するシステムを作り上げました。ファスナーは国内市場を独占するまでになり、本格的に海外進出が図られるとともに、ファスナーの金属材料に関する技術と押出機の生産能力を活かし、アルミ建材の生産にも着手しました。 忠雄は「他人の利益を図らずして自らの繁栄はない」という思いで、積極的に地域への貢献を行いました。それは、忠雄が「善の巡環」と呼び、大切にした考え方です。その結果、世界的に高い評価を受ける企業となりました。 西 暦 年 齢 項 目 1908 下中島村(現在の魚津市)に生まれる 1928 20 上京し、古谷商店に就職する 1934 26 サンエス商会を創業する(1938吉田工業所、1942有限会社吉田工業所、1945吉田工業株式会社、1994YKK株式会社と社名を変更) 1955 47 黒部工場(現在の黒部牧野工場)起工式 1962 54 黒部市名誉市民となる 1993 84 逝去 最新のお知らせ 令和6年度黒部市スポーツ障害チェック(検診)の実施について 第42回カーター記念黒部名水マラソンのランナーを募集します! ●人間ドックの助成 冬の農業用水路転落事故防止強化期間について 宇奈月温泉スキー場お得なシーズン券の受付を開始しました(早割12/20締切) 償却資産の申告について 黒部市地球温暖化対策実行計画(区域施策編)(案)に関する市民パブリックコメントの実施について パパママサポートセンター「たんぽぽ」託児サポーター募集中 お知らせ一覧へ お問い合わせ 教育委員会 生涯学習文化課 〒938-8555 黒部市三日市1301番地 電話番号:0765-54-2764 FAX番号:0765-54-2702 このページの担当へ問い合わせを送る