ホーム お知らせ 【ダイジェスト版】語りつぎたい黒部人 vol.13 川端 元治 【ダイジェスト版】語りつぎたい黒部人 vol.13 川端 元治 2011年2月17日更新 このページを印刷する シェア ツイート 川端 元治(1902-1980) 漁業者たちの幸せを願った日本の水産業界のリーダー 川端 元治(かわばた もとじ) ■漁船保険の改革 川端元治は、明治35年(1902)、北海道庁根室支庁植別村羅臼で生まれました。父の元次郎は生地で生まれ、20歳の時に北海道へ渡り、川端商店を立ち上げました。元治も父譲りの才覚を受け継ぎ、根室漁業界の若きリーダーへと成長していきました。 元治は、45歳で根室漁船保険組合長に就任しました。当時、漁業者たちの保険への理解は低く、加入はわずかでしたが、元治は、経済的にも不安定で危険と隣り合わせの漁業者たちが安心して仕事をするため、漁船保険の必要性を訴え、さらに保険料の補助を国へ働きかけました。こうした努力により、昭和27年、漁船保険の義務加入と保険料の国庫補助制度が実現しました。 ■ 魚の価格を安定させた「川端方式」 昭和23年、棒受網漁という新しい漁法が開発されると、サンマの水揚げ量がこれまでの10倍以上に増え、価格が暴落する「大漁貧乏」の問題が起きました。魚価を安定させるため、サンマを加工して作る魚油、魚粕の市場での価格をもとにサンマの「最低価格」を決め、価格が最低価格を下回る場合、余ったサンマを市場から加工業者にまわし、魚油等に加工して保管してもらうことにしました。この方法は「川端方式」といわれ、昭和37年、38年の両年にわたって全国的に実施されました。 ■日ソ漁業交渉にかけた情熱 また、元治は全国鮭鱒流網漁業組合連合会長として、日ソ漁業条約によりソ連の強い規制を受けた日本の鮭・鱒漁の経営安定対策に専心しました。昭和33年から昭和54年まで、22回もの会議に参加し、ソ連との交渉に当たりました。交渉は、両国の利害がぶつかる激しいものでしたが、元治は日本の北洋漁業の権利を守るため、粘り強く交渉を続けました。 こうした業績を残し、77歳で息を引き取りました。最後まで北海道の漁民のさらなる発展を願い、その実現に意欲を燃やしていた元治は、まさに郷土愛と情熱の人であったといえるでしょう。 西 暦 年 齢 項 目 1902 北海道丁根室支庁植別村(現在の羅臼町)に生まれる 1947 45 根室漁船保険組合長となる 1949 47 根室漁業協同組合初代組合長となる 1955 53 北海道議会議員を務める(3期) 1956 54 全国鮭鱒流網漁業組合連合会長となる 1958 56 第2回日ソ漁業委員会日本政府代表顧問となる 1966 64 北海道漁業協同組合連合会会長となる 1980 77 6月に根室市名誉市民第一号となった後、逝去(9月) 最新のお知らせ 【2/28(金)~3/2(日)】インターネット相談窓口等の受付停止のお知らせ KOKOくろべで「健活」&「クラフト体験」 大雪に関する情報はこちらから(令和7年2月17日更新) 防災まちづくり講演会を開催します! 令和6年度黒部市高齢・障がい福祉施設等物価高騰対策支援金について 宇奈月温泉スキー場からの大雪に関するお知らせ 第7回マイプロジェクト発表会を開催します! 【2/21(金)】 JRにおける精神障害者割引制度の導入について お知らせ一覧へ お問い合わせ 教育委員会 生涯学習文化課 〒938-8555 黒部市三日市1301番地 電話番号:0765-54-2764 FAX番号:0765-54-2702 このページの担当へ問い合わせを送る