ホーム お知らせ 【ダイジェスト版】語りつぎたい黒部人 vol.12 飯野 栄作 【ダイジェスト版】語りつぎたい黒部人 vol.12 飯野 栄作 2011年2月17日更新 このページを印刷する シェア ツイート 飯野 栄作(1901-1978) アルゼンチンの移民社会に尽くした 飯野 栄作(いいの えいさく) ■海外に憧れてアルゼンチンへ 荻生村出身の飯野栄作は、高校を卒業後、横浜の日新楼旅館で働いていました。旅館を利用する外国人貿易商から話を聞くうちに、海外生活への憧れが強くなり、18歳で外国航路の船に乗り込み、南米チリのパルパライソにたどり着きました。 ) ■貿易、ボタン会社の経営に参加 栄作は、山田惣四郎、今村政五郎兄弟が大正2年に創業した貿易商社 山田商会の支店に勤めました。ところが、栄作が勤めてまもなく、会社の都合で支店は閉鎖されることになりました。本社での勤務の誘いを受けた栄作は、隣国のアルゼンチンへ向かうことになりました。これが、栄作のアルゼンチン移住のはじまりでした。 山田商会は当初、日本で仕入れた陶器や雑貨を販売していましたが、貝ボタンや電球が人気商品となり、貝ボタンは輸入から製造に切り替え、大きなボタン会社に発展しました。栄作は、後に支配人となり、手腕を発揮しました。 栄作の会社にとって大きな試練となったのは、第二次世界大戦です。一切の海上交通が断たれ、貿易の仕事が全くなくなりました。その上、在留日本人は敵国人として不当な制限をされ、山田商会もアルゼンチンの管理下に置かれました。終戦から3年半後に管理が解かれ、9年後に日本との往来が自由になりましたが、この間の経済的損失、精神的な打撃は少なくありませんでした。 ■移民社会のリーダーに 栄作は、会社を発展させるだけでなく、戦前、戦後と日本人移民社会のリーダーとしても活躍しました。 第二次世界大戦前には、日本人学校の父兄会長の立場で教育の充実に力を注ぎ、戦後は在亜日本人会の会長として移住者のための会館整備や親睦の振興を行いました。 昭和42年(1967)に皇太子ご夫妻(現在の天皇皇后両陛下)のアルゼンチン訪問を記念し日本庭園が造られた際には、ご夫妻の庭園視察の案内役を務めました。 その他、開拓を希望する日本人に土地の提供などの支援をする亜国拓殖協同組合長や、日本とアルゼンチンの文化を互いの国に紹介する日亜文化協会役員等を務めました。 故郷荻生村に対しても、昭和14年アルゼンチン貨で500ペソを寄付し、村では小学校に二宮尊徳像が建立されました。 栄作の人柄や姿勢は多くの人の信頼を受け、幅広い分野で両国の交流に足跡を残しました。 西 暦 年 齢 項 目 1901 荻生村に生まれる 1917 16 下新川郡立農業学校(現在の桜井高等学校)を卒業する 1920 19 アルゼンチン・ブエノスアイレスへ渡る 1939 38 ボタン製造工場建設に支配人として尽力する 1960 59 日本人会会長となる 1967 66 日本庭園建設委員長として皇太子ご夫妻をご案内 1972 71 日本政府から勲四等旭日章を受ける 1978 77 逝去 最新のお知らせ 令和7年度黒部市公募提案型協働事業公開プレゼンテーション審査会を開催します <3/30(日)>あおーよde出会いカフェ★ 令和6年度 詩の道句集事業 選定結果のお知らせ 勤労青少年ホームの愛称決定! 第7回マイプロジェクト発表会(開催結果) 黒部マチヂカラ商品券を販売いたします! 市保有財産(土地)での事業希望調査の実施(募集) 【令和7年6月30日まで受付】『令和7年大船渡市赤崎町林野火災義援金』の受付について お知らせ一覧へ お問い合わせ 教育委員会 生涯学習文化課 〒938-8555 黒部市三日市1301番地 電話番号:0765-54-2764 FAX番号:0765-54-2702 このページの担当へ問い合わせを送る