ホーム お知らせ 【ダイジェスト版】語りつぎたい黒部人 vol.9 佐度 忠作 【ダイジェスト版】語りつぎたい黒部人 vol.9 佐度 忠作 2011年2月16日更新 このページを印刷する シェア ツイート 佐度忠作(1910-1966) 古代を読み解く考古学者 佐度 忠作(さど ちゅうさく) ■考古学に目覚める 佐度忠作は、昭和5年(1930)に富山県の教員養成所を卒業後、小学校教師となりました。昭和10年に田家尋常小学校に着任してすぐ、八幡社で土器や石器を発見しました。それが土器・石器への探求のきっかけとなり、考古学者早川荘作の手ほどきのもと、周辺をくまなく調査し始めました。 荘作の指導を受けた忠作は、昭和10年から41年までの30年間黒部川流域の遺跡調査を精力的に行うとともに、たくさんの遺跡を発見しました。忠作が集めた土器や石器は、佐度コレクションとして保管されています。また忠作は子どもと一緒に泥だらけになりながら土器の採集を行い、発掘の魅力を伝えました。 昭和22年内山小学校へ転勤後、忠作は内山遺跡や愛本新遺跡の調査にますます打ち込んでいましたが、日ごろの無理がたたり、47歳で退職し、56歳という若さで亡くなりました。 ■忠作が残した道しるべ 忠作の志は宇奈月社会科学研究会に引き継がれ、『宇奈月町の石器と土器』にまとめられました。この本には土器や石器を詳しく分類・分析がなされたうえ、それぞれの遺跡の発掘経過や特徴を簡潔に記してあります。 さらに、忠作の晩年に編さんされた『黒部市誌』及び逝去後に編さんされた『宇奈月町史』の石器時代の記述は忠作の研究成果をもとに書かれました。 忠作が活躍していた時代の黒部市には、縄文時代の遺跡はたくさん発見されていましたが、弥生時代の遺跡は1つも見つかっていませんでした。しかし、忠作はそれまでの調査をもとに分析し、弥生遺跡の場所を推測していました。忠作が亡くなって40年後、まさに予想した通りの場所-堀切-から弥生時代の遺跡が発見されました。この堀切遺跡の発見を誰よりも喜んでいるのは他ならぬ忠作であったことでしょう。 西 暦 年 齢 項 目 1910 石田村に生まれる 1930 20 富山県立実業補習学校教員養成所を卒業する 1940 30 『一般の土器と郷土の石器について』を出版する 1954 44 黒部市文化財調査員となる 1957 47 内山小学校で退職を迎える 1962 52 『黒部市における先史文化の概観』を発表する 1963 53 黒部市教育文化功労賞を受ける 1967 『宇奈月町の石器と土器』が出版される 最新のお知らせ 【2/28(金)~3/2(日)】インターネット相談窓口等の受付停止のお知らせ 4/13(日)マイナンバーカードの休日窓口を開設します KOKOくろべで「健活」&「クラフト体験」 大雪に関する情報はこちらから(令和7年2月17日更新) 防災まちづくり講演会を開催します! 令和6年度黒部市高齢・障がい福祉施設等物価高騰対策支援金について 宇奈月温泉スキー場からの大雪に関するお知らせ 第7回マイプロジェクト発表会を開催します! 【2/21(金)】 お知らせ一覧へ お問い合わせ 教育委員会 生涯学習文化課 〒938-8555 黒部市三日市1301番地 電話番号:0765-54-2764 FAX番号:0765-54-2702 このページの担当へ問い合わせを送る