ホーム お知らせ 【ダイジェスト版】 語りつぎたい黒部人 vol.7 雪山 俊夫(ゆきやま としお) 【ダイジェスト版】 語りつぎたい黒部人 vol.7 雪山 俊夫(ゆきやま としお) 2011年2月16日更新 このページを印刷する シェア ツイート 日本人初のフンボルト賞に輝く 世界に誇る 郷土の学僧 雪山 俊夫 ■恵まれた才能を開花させる 雪山俊夫は、明治13年(1880)浦山村(現在の黒部市宇奈月町浦山)にある善巧寺に生まれました。東京第一高等学校を卒業後、東京帝国大学(現在の東京大学)へ進学しました。俊夫は幼い頃から優れた資質を持っており、中でも語学に興味を持ったことから、大学卒業後は、高等学校でドイツ語の先生として勤務しました。俊夫に教えを受けた生徒たちは"学問を厳しく見つめる態度が、そのまま授業にも表れていた"と回想しています。 ■研究者として世界に羽ばたく 岡山第六高等学校に勤めていたとき、善巧寺の住職であった兄の僧眼が逝去し、二男である俊夫が、このお寺の住職にならなくてはなりませんでした。しかし、教育者・研究者としての俊夫の才能を惜しむ声が強くあり、長野の親戚が善巧寺へ住職代理が来ることになりました。 俊夫は、文部省の推薦によりドイツのライプチヒ大学に留学し、レーテ、ヘルマンといった有名な教授のもとで語学を学ぶ傍ら、インドやヨーロッパの文献学も学びました。 周囲の理解と協力により、俊夫は住職でありながら高等 学校の教師・研究者としての道を歩み続けていったので す。 ■ 日本人初のフンボルト賞に輝く ドイツから帰国した俊夫は、京都帝国大学(現在の京都大学)でドイツ文学・語学の講師になり、加えて「ニーベルンゲンの歌 基礎の研究」というテーマで、研究を続けました。 『ニーベルンゲンの歌』は、ドイツ中世文学の代表作出で、使われている言葉が現在のドイツ語と違っている上、参考書も少なく、研究には多くの困難がありました。苦労の末、昭和10年にこの研究論文を完成させ、これによって文学博士の学位を授与され、また日本人として初めてドイツ政府からフンボルト賞を授与されました。 昭和19年に京都帝国大学を退職した後は、善巧寺へ帰り、門徒の教化にあたりました。俊夫は、生涯を通じて、「学問とは何か」を自身の後ろ姿で示し続けたのです。 西 暦 年 齢 項 目 1880 浦山村に生まれる 1902 22 東京帝国大学を卒業する 1906 26 金沢第四高等学校に勤務する 1912 32 岡山第六高等学校に勤務する 1918 38 善巧寺十九世住職となる 1921 41 ドイツのライプチヒ大学に留学する 1925 45 京都帝国大学に勤務する 1935 55 ドイツ政府からフンボルト賞を受ける 1944 64 浦山に帰郷する 1946 66 逝去 最新のお知らせ 【2/28(金)~3/2(日)】インターネット相談窓口等の受付停止のお知らせ KOKOくろべで「健活」&「クラフト体験」 大雪に関する情報はこちらから(令和7年2月17日更新) 防災まちづくり講演会を開催します! 令和6年度黒部市高齢・障がい福祉施設等物価高騰対策支援金について 宇奈月温泉スキー場からの大雪に関するお知らせ 第7回マイプロジェクト発表会を開催します! 【2/21(金)】 JRにおける精神障害者割引制度の導入について お知らせ一覧へ お問い合わせ 教育委員会 生涯学習文化課 〒938-8555 黒部市三日市1301番地 電話番号:0765-54-2764 FAX番号:0765-54-2702 このページの担当へ問い合わせを送る