ホーム お知らせ 鍛冶 良作(かじりょうさく 1895-1980) 鍛冶 良作(かじりょうさく 1895-1980) 2009年2月9日更新 このページを印刷する シェア ツイート ■政治生命をかけた富山県二大問題 1つめは、電気事業の問題です。 富山県には、五大河川をはじめ多くの川があります。川にダムを築いて多くの発電所を造り、水力発電では日本一でした。そのため、各種の工業が盛んになり、農業にも利益をもたらしていました。 しかし、第二次世界大戦中、戦争に必要な物を作るため、富山県営の発電所は国営化されてしまいました。その後、終戦によって国が電気事業をもっている必要がなくなったため、電力事業をどうするかということを話し合いました。 すると、この電気事業を元の持ち主に返す案と、日本の各地に分割しようという案とに分かれました。良作さんは富山県の将来のため、元の持ち主に返すよう一生懸命取り組みました。この事業を日本の各地に分割したら利益が受けられる企業や一部の政治家たちと真正面から戦ったのです。しかし、結局は9電力会社に分割され、富山県の財産であった県営発電所を失うことになりました。このことで良作さんは多くの敵を作ってしまい、就任するはずだった大臣にもなれませんでした。それでも、「徒労に終わったとはいえ、富山県民のために働いた私は、あらゆる面で大損したにもかかわらず、心は日本晴れである。」と述べています。 2つめは、黒部ルートの解放問題です。 富山県や宇奈月町は、黒部第四発電所の誕生によって、そこから宇奈月までの観光ルート(黒部ルート)ができるものと大いに期待をしていました。美しい黒部峡谷を多くの人に見てもらいたいと願っていたからです。企業に対して何度も工事を早く行うように言いましたが、なかなか行われず、黒部ルート開設の約束が守られませんでした。 そこで、国会の決算委員会において、国立公園を担当している関係者に迫力ある質問を行い、全力で立ち向かいました。そのときの質問は、だれもが口をそろえて「見事な質問だった。」とほめたたえました。郷土のためにつくす良作さんの晴れ舞台となりました。 【黒部ダムを視察する良作さん】 ※ 名誉市民へ 良作さんは著書の中で「私は、栄誉を追わず、英雄になることを願わず、真正面から法律に取り組み、国民の負託に応えるため誠実一路に政治してきた。」と述べています。政治の世界でこのような生き方をするのは難しいことです。良作さんはのちに黒部市の名誉市民となりました。 【勲章を受章した良作さん】 (続きを読む・・・) 西暦 年齢 項目 1895 生地町に生まれる 1915 20 上京し、谷欽太郎家の書生となる 1921 26 明治大学法学部を卒業する 1922 27 弁護士試験合格。法律事務所を開く 1932 37 神田区議会議員となる 1947 52 国会議員となる 1948 53 法務政務次官となる 1960 65 裁判官弾劾裁判所裁判長となる 1976 81 黒部市名誉市民となる 1980 85 亡くなる 最新のお知らせ 【2/28(金)~3/2(日)】インターネット相談窓口等の受付停止のお知らせ 4/13(日)マイナンバーカードの休日窓口を開設します KOKOくろべで「健活」&「クラフト体験」 大雪に関する情報はこちらから(令和7年2月17日更新) 防災まちづくり講演会を開催します! 令和6年度黒部市高齢・障がい福祉施設等物価高騰対策支援金について 宇奈月温泉スキー場からの大雪に関するお知らせ 第7回マイプロジェクト発表会を開催します! 【2/21(金)】 お知らせ一覧へ