ホーム お知らせ 鍛冶 良作(かじりょうさく 1895-1980) 鍛冶 良作(かじりょうさく 1895-1980) 2009年2月6日更新 このページを印刷する シェア ツイート ■国会議員に当選 【青年たちを前に、熱っぽく日本の将来等について語る良作さん】 良作さんは、以前から政治にも興味をもっていたため、弁護士の仕事をしながら選挙運動をしたり、演説会で政治について話をしたりしました。話が上手で、みんなから称賛されました。 52歳のとき、政治家を目指してきた夢がかない、国会議員として初当選をすることができました。今までの苦労を思い出し、自然と涙が流れました。「県民のために、正しい政治をしよう。」と強く決意しました。そして、富山県にとって漁業問題と農業問題が重要であると考え、真剣に政治活動をしました。 出身地の生地は地引網(じびきあみ)を主とした漁村だったので、漁業問題には特に関心をもっていました。北海の漁場まで漁に行っていた生地の漁師たちの中には、戦争で負けて漁ができなくなり、食べる物にも困る人が多くいました。そこで、近海での漁業の開発や遠洋漁業ができるように取り組みました。 最初に取り組んだのが、生地鼻に新しく灯台を造ることでした。次に、根室の花咲沖(はなさきおき)でシャケやマス漁ができるように走り回り、遠洋漁業の権利を取って、再び北海道で漁ができるようになりました。 農業問題では、流水客土(りゅうすいきゃくど)事業実現のため力を注ぎました。黒部川扇状地の水田の土質は、水をためておくことが難しく、たくさんの水を入れなくてはいけませんでした。そのため、水田の温度が上がらず、冷害によって収入が得られないことが多くありました。そこに住む人たちは「どうにもならない。」と半ばあきらめていました。 ところが、戦争中の食料を増やそうとの考えから、土地改良が強く望まれ、研究が行われました。その結果、赤土を補給すれば良いことが分かりました。宮野山の赤土を水圧ポンプで削り取り、それを水に溶かして泥水として用水に流し、1枚1枚の水田に注いで土質を改良しました。それぞれの場所まで運ぶ必要がなく、経費が大変安くあがりました。すると、水田は水をためておけるようになったので冷害が減り、収入が増えて農家の人々は大変喜びました。 ※ ダイヤモンド事件 太平洋戦争中、戦争の資金にするため多量のダイヤモンドが献納されました。しかし、終戦になりダイヤが行方不明になってしまいました。だれもが発見できないだろうと思っていたのですが、良作さんは不屈の精神で相手がだれであろうが徹底的に調べ、とうとう発見したのです。 (続きを読む・・・) 最新のお知らせ 【2/28(金)~3/2(日)】インターネット相談窓口等の受付停止のお知らせ KOKOくろべで「健活」&「クラフト体験」 大雪に関する情報はこちらから(令和7年2月17日更新) 防災まちづくり講演会を開催します! 令和6年度黒部市高齢・障がい福祉施設等物価高騰対策支援金について 宇奈月温泉スキー場からの大雪に関するお知らせ 第7回マイプロジェクト発表会を開催します! 【2/21(金)】 JRにおける精神障害者割引制度の導入について お知らせ一覧へ