ホーム お知らせ 鍛冶 良作(かじりょうさく 1895-1980) 正義感が強く ふるさとを大切にした政治家 鍛冶 良作(かじりょうさく 1895-1980) 正義感が強く ふるさとを大切にした政治家 2009年2月6日更新 このページを印刷する シェア ツイート ■政治家になるために上京 「政治家になろう、そのためには法律の知識が必要だ。」と20歳の鍛冶良作さんは考え、働きながら勉強して、まずは弁護士になるために東京へ行きました。そして、国会議員の谷欽太郎さん(※1 魚津市道下出身)の門を叩いて「書生としておいてください。」とお願いし、働きながら勉強することになりました。 小学校を中退したために中学校を出ていなかった良作さんは、短期間で中学校の勉強をできる正則英語学校(現在の正則学園高等学校)に入ることにしました。朝9時から午後4時まで予備科、午後5時から9時まで英語科で勉強し、中学5年分の内容を1年3か月で勉強することになりました。 朝早く起きて、谷さんの書生として家を掃除し、学校までの4kmの道のりを、竹の皮のぞうりの裏に板をはった「板ぞうり」をはいて通いました。朝の9時から夜の9時までの12時間、勉強にはげみました。夜になると目をこすりながら勉強をすることもありました。また、板ぞうりは足が痛く、冬は素足だったためとてもつらく苦しいものでした。 しかし、「負けるものか」と歯をくいしばって1日も休まず学校に通い、基本の勉強をしました。分からないところは谷さんの部屋に行き、納得のいくまで教えてもらいました。そうしながら難しい数学や英語も克服しました。 谷さんが帰郷することになり、仕事を見つけなければならなくなりました。良作さんは、友達の紹介で納豆を売ることにしました。また、住むところも見つけました。朝の6時から2時間、「ナットウ、ナットウ」と大きな声を出し納豆を売り、生活できるようになりました。 「おまえさん、勉強しているんだって、がんばりなよ。」と応援してくれる人もいました。そして、このときに働くこと、お金、正直さ、誠実さの大切さを知りました。 ※1 谷欽太郎 良作さんは、居候書生になったものの、朝早くから夜遅くまで学校に行きっぱなしなので、朝の掃除ぐらいしかできませんでした。谷さんは、励ましてくださるだけで、勉強に差し障らないようにという思いやりから用事をいいつけませんでした。心の大きい優しい先生でした。 (続きを読む・・・) 最新のお知らせ ゴールデンウイーク期間中(4月27日~5月6日)の市内路線バスの運行について 令和6年能登半島地震による法人市民税等の申告・納付等の期限の延長について 令和6年度「農業経営のてびき」を作成しました 申請はお済ですか?「非課税世帯等価格高騰支援給付金(追加)」の申請は30日までです 春の農業用水路転落事故防止強化期間について 「第3次黒部市子ども読書活動推進計画」を策定しました 「第2次黒部市立図書館サービス計画」を策定しました 黒部市立あおーよ図書館ボードゲームイベントについて お知らせ一覧へ