ホーム お知らせ 寺島 権蔵(てらしまごんぞう 1888-1940) ふるさとの発展のために 権蔵橋の生みの親 寺島 権蔵(てらしまごんぞう 1888-1940) ふるさとの発展のために 権蔵橋の生みの親 2009年2月6日更新 このページを印刷する シェア ツイート ■人の名前がつけられた橋 みなさんは「権蔵橋」を知っていますか。黒部川の中流付近にかかり、黒部市若栗(わかぐり)と入善町小摺戸(こすりど)を結ぶ長さ535mの大きな橋です。 この橋の名前、ちょっと変わっていませんか。 同じ黒部川にかかっている橋は、「愛本橋」「新川黒部橋」「黒部川橋」など、黒部やその土地に関係のある名前がついています。しかし、この「権蔵橋」は、人の名前がつけられた珍しい橋なのです。 この権蔵橋の名前の由来となったのは、寺島権蔵さんという黒部市三日市出身の人です。権蔵さんは、明治21年(1888)1月18日に寺島又蔵さんの五男として生まれました。今でも権蔵さんが住んでいた大きな家の一部と大きな庭が、富山地方鉄道東三日市駅の近くに、当時のまま残っています。 権蔵さんは、魚津中学校(現在の魚津高等学校)を中退後、長野県の中学校を卒業し、早稲田大学で学びました。卒業後は政治の世界に入り、衆議院議員や三日市町長(現在の黒部市三日市)として、国のため、富山県のため、黒部のために一生懸命に働きました。 数多くある権蔵さんの功績の中から、いくつかをご紹介しましょう。 【権蔵さんの生家(現在は倉田邸)とんがり屋根の部分が当時のもの】 ※ 町長になってほしい 寺島権蔵さんが三日市町長になるとき、町民のみなさんから「ぜひ、権蔵さんに町長になってほしい」と強く要望されたそうです。このことからも権蔵がいかに信頼されていたかが分かりますね。 (続きを読む・・・) 最新のお知らせ 春の農業用水路転落事故防止強化期間について 黒部市立あおーよ図書館ボードゲームイベントについて 令和6年6月定例会の日程をお知らせします 黒部市地域公共交通計画の策定について 【5月~6月実施】スマホ教室参加者募集中! 福祉に関する計画 第4次黒部市地域福祉計画(令和6年度~令和10年度)を策定しました。 林道の通行状況について お知らせ一覧へ