ホーム お知らせ 森丘 正唯(もりおかまさただ 1880-1967) 森丘 正唯(もりおかまさただ 1880-1967) 2009年2月5日更新 このページを印刷する シェア ツイート ■中新のおやっさま 大布施村は、砂や石の多い土壌で農作物がたくさん実らない上、繰り返される黒部川の洪水に苦しめられてきました。村々の争いが絶えず、村人たちはいつも貧しかったのです。そのため、酒やばくち、遊びにふける者が多くいました。 そんな時に村へ戻って村長になった正唯さんは、さっそく、村の立て直しに取り組みました。人の和を大切にするよう村人たちに説くとともに、無駄遣いをおさえて、倹約するよう奨励しました。また、土地改良にも並々ならぬ力を注ぎました。次第に、遊びにふけっていた人々が、野良仕事を楽しむようになり、働くにつれて村人たちの暮らし向きも豊かになりました。 正唯さんは、村長の仕事のかたわら、村の品評会には自ら栽培した作物を出品したり、田畑が干ばつになったときには、自らバケツを持って井戸から水をくみ上げて田畑に運んだりもしました。 ある年、村の畑を回って、キュウリに農薬の一種であるボルドー液をかけました。それを見た村人は、「青い薬は気味悪いが、森丘村長のすることだから。」とだれも文句を言いませんでした。そして、長い梅雨があけてもキュウリは枯れることがありませんでした。 こうして、貧しかった大布施村は、野菜作りにおいて富山県で1番になることができました。 正唯さんは、農民の招くところへは、どこへでも足を運んだそうです。「農民の幸福のためなら、自分はどうなってもかまわない。」という奉仕の精神がそうさせたのでしょう。 また、正唯さんは、子どもにやさしい人でした。道を歩く子どもには気さくに名前をたずね、「親に負けん働き者になれよ。」と慈しみと励ましの言葉を掛けるのを忘れませんでした。そのため、村人からは、「中新のじいさま」とか、「中新のおやっさま」と呼ばれ、一家のあるじのように敬い親しまれました。 (続きを読む・・・) 最新のお知らせ ゴールデンウイーク期間中(4月27日~5月6日)の市内路線バスの運行について 令和6年能登半島地震による法人市民税等の申告・納付等の期限の延長について 令和6年度「農業経営のてびき」を作成しました 申請はお済ですか?「非課税世帯等価格高騰支援給付金(追加)」の申請は30日までです 春の農業用水路転落事故防止強化期間について 「第3次黒部市子ども読書活動推進計画」を策定しました 「第2次黒部市立図書館サービス計画」を策定しました 黒部市立あおーよ図書館ボードゲームイベントについて お知らせ一覧へ