ホーム お知らせ 福井 重成(ふくいしげなり 1851-1912) 福井 重成(ふくいしげなり 1851-1912) 2009年2月6日更新 このページを印刷する シェア ツイート ■自分のお金を使っても人々の幸せを願う 村長になった重成さんの願いは、貧しさに苦しんでいる多くの農民の生活を豊かにすることでした。 まず、村民に貯蓄の習慣を身につけさせようとしました。そのころの農民は、後でお金を払う後払いという方法で、お金がなくても気軽に物を買ってしまい、後の支払いになってから困るという生活をしていました。そこで、重成さんは、村民に必要以外の物はできるだけ買わずに、質素に生活することや、商人から借金しないことすすめました。 次に、収入を少しでも増やして生活にゆとりをもたせるため、養蚕の技術を教えるなど、農業の技術指導にも熱心に取り組みました。重成さんが村長になったばかりの年に、富山県に初めての富山県農事試験場(※1 現在の富山県農業技術センター)が富山町(現在の富山市)にできました。その後、前沢村(現在の黒部市前沢)にもその支部が置かれました。重成さんは、それらを視察しながら、私費で試験農場を作るほどに力を入れました。そこでは、堆肥を考案したり、新しい苗代作りや二毛作の試験なども行ったりし、少しでもたくさんの農産物を生産できるよう取り組みながら、村人を指導しました。 ※1 富山県農事試験場 農業技術を開発研究し、それを指導する富山県の機関。水稲・畑作物の栽培、土壌や肥料、病害虫の駆除方法、農作業技術などの試験研究を行っていました。1986年に関係する様々な機関が統合され、富山県農業技術センターとして発足し、現在にいたります。 ■下立小学校をつくるために 市町村制が施行された当時、下立村にはまだ学校がなく、村の子どもたちはとなりの浦山村(うらやまむら 現在の黒部市宇奈月町浦山)にある浦山小学校に通っていました。だれよりも教育の重要性を深く考えていた重成さんは、さっそく小学校を作るために働きました。しかし、学校を建てるには、たくさんの費用と村民の協力が必要です。そのため、重成さんは、村会で人々を説得し、予算化を図るとともに、県にも援助を願い出ました。その精力的な運動が実を結び、翌年の明治23年に下立簡易小学校ができあがりました。下立の子どもたちは、これで学校に通うのが便利になりました。 【昔の下立小学校校舎】 (続きを読む・・・) 最新のお知らせ ゴールデンウィークはくろべ牧場でゆっくり過ごそう!「ファームフェア2024」 アルペンライナー(宇奈月-室堂線)の運行について ゴールデンウイーク期間中(4月27日~5月6日)の市内路線バスの運行について 令和6年能登半島地震による法人市民税等の申告・納付等の期限の延長について 令和6年度「農業経営のてびき」を作成しました 申請はお済ですか?「非課税世帯等価格高騰支援給付金(追加)」の申請は30日までです 春の農業用水路転落事故防止強化期間について 「第3次黒部市子ども読書活動推進計画」を策定しました お知らせ一覧へ