ホーム お知らせ 福井 重成(ふくいしげなり 1851-1912) 福井 重成(ふくいしげなり 1851-1912) 2009年2月6日更新 このページを印刷する シェア ツイート ■下立の神様をおまつりする 下立村には、集落ごとにたくさんの神社がありました。そのままでは神社の維持に費用がかかりすぎ、人々の負担が重すぎるようになりました。そこで、重成さんはその負担を少なくし、さらに人々の心を一つにまとめるために、それぞれの神社をまとめていきました。 明治24年に4社を現在の下立神社に移して、2年後、もう2社を移しておまつりしました。その際、中心となる下立神社を立派な建築とし、村人の神を敬う気持ちをいっそう厚くし、心のよりどころとなるようにしました。下立神社には、重成さんの偉大な功績をたたえ、銅像が建てられています。 ■50年先を考えた植林 村長としての重成さんは、さらに下立村全体の財政を豊かで安定したものにする取り組みを続けました。とはいうものの、明治時代に短期間で財政を豊かにする方法はありませんでした。そこで、重成さんは、50年先を見越した粘り強い方法に取り組みました。それが植林事業だったのです。 しかし、杉などを植林しても、それが売れるようになるには長い年月がかかるため、村人は反対しました。それでも、重成さんは、熱心に村人に説得をして回りました。ようやく重成さんの考えに賛成する人々が増えてきて、明治33年に村会で承認され、予算化されました。翌年に富山県で初めての模範森林が大山村(現在の富山市大山町地区)に作られたことをみてもわかるように、重成さんの考えは、当時の最先端をいくものでした。 明治34年から着々と計画を進め、明治38年には木の苗を育てる畑のきまりである「下立村樹苗圃設置規程(※2 じゅびょうほせっちきてい)」を定め、植林用の苗木を育てる畑である樹苗圃をつくりました。 また、この年、下立村山林保有者65人が話し合って、「山林を保有するものは、毎年50本以上の苗木を植えつけること。」と「出生や婚礼のある家は、記念植樹として50本以上の苗木を植えつけること。」を決めました。 さらに、小学校の財産を増やし、子どもたちの植林思想を養うため、「下立小学校植樹規程」を定めて学校林を作りました。 その後、明治43年に、今後50年の植林について定めた「※3 下立基本財産造林条例」を設け、植林事業を充実させていきました。 重成さんの50年先を見通して細部にわたって計画された植林事業の成果は、現在も下立地区の人々に受けつがれています。この植林した財産区から生まれる利益は、毎年、下立地区のために使われています。 ※2 下立村樹苗圃設置規程 毎年、スギ苗15,000本、ヒノキ苗5,000本を育て、あまれば他に売って予算に組み入れることを定めたもの ※3 下立基本財産造林条例 今後50年の植林計画(場所や苗木の種類、方法)などを定めたもの (続きを読む・・・) 最新のお知らせ 伴走型出産・子育て応援事業について 要注意!引っ越しに関わるトラブルが多発しています。 黒部市職員採用情報 所得税の確定申告、市・県民税の申告相談が2/16(木)から始まります 道の駅KOKOくろべ内 Family Kitchen Kamome(ファミリーキッチンカモメ)よりお知らせ 電力・ガス・食料品等価格高騰緊急支援給付金について 確定申告会場にマイナンバーカード申請特設コーナーを設置します! 第23回富山県障害者スポーツ大会(水泳競技会)の参加者募集 お知らせ一覧へ