ホーム お知らせ 吉田 忠雄(よしだただお 1908-1993) 吉田 忠雄(よしだただお 1908-1993) 2009年2月6日更新 このページを印刷する シェア ツイート ■ファスナー加工・販売業者への道 昭和9年(1934)、忠雄さんはサンエス商会という会社をおこし、ファスナーを売る仕事を始めました。これがYKKの前身です。 当時のファスナーは品質が悪く、半分以上が不良品でした。悪いところを直して売らなければならないので、手間もかかるし、お金もかかりました。どうしたら、この不良品を少なくすることができるか、忠雄さんは考えました。 「少しでもいいものを自分の手で作ろう。自分たちの力でやってみよう。1日も早く外国の製品に負けないものにしよう。」 とファスナーづくりに精を出す一方、商品を売る方面の拡大にも力を注ぎました。得意先も徐々に増えてきました。輸出も伸び、サンエス商会は順調に発展していきました。 そこで、忠雄さんは新しい工場を建て、そして金属部品は自分の会社で生産することにし、社名も吉田工業所に変更しました。 新しい工場がスタートして間もなく、戦争のため銅が使えなくなったのです。ファスナーの開閉部分に当たるムシとスライダーは銅合金でできているので、銅がなくては、ファスナーは作れません。そこで、忠雄さんは銅に変わる金属で、新しいファスナーを作ろうと考えました。それがアルミファスナーの第一歩でした。そんな矢先、B29による東京大空襲が始まったのです。 空襲警報が鳴りひびいて夜空は真っ赤に燃え上がり、工場にも火の手が上がりました。夜が明けるのを待って、工場にもどってみると、工場は焼失し、そこには焼けただれた機械の残がいが転がっているだけでした。10年余りかけて築いてきたものすべてを一瞬にして失ってしまったのでした。 ※「もう紙1枚」のすすめ 一生懸命がんばって「もうこれ以上できない」ところで、もう紙1枚分の厚さの努力をその上にのせます。それを毎日続けることによってすばらしい実力と人格がつくられていきます。忠雄さんは、「もう紙1枚」の努力をすることを勧めました。 ※ 黒部市の国際交流 黒部市は、オランダのスネーク市(Sneek)やアメリカのメーコン市(Macon)と姉妹都市です。黒部市民のみなさんによって教育、産業、スポーツ、文化、福祉など様々な分野で、姉妹都市交流を活発に行っています。その基礎をつくったのが忠雄さんでした。 【ホワイトハウスでカーター大統領と会見(昭和54年)】 (続きを読む・・・) 最新のお知らせ ゴールデンウィークはくろべ牧場でゆっくり過ごそう!「ファームフェア2024」 アルペンライナー(宇奈月-室堂線)の運行について ゴールデンウイーク期間中(4月27日~5月6日)の市内路線バスの運行について 令和6年能登半島地震による法人市民税等の申告・納付等の期限の延長について 令和6年度「農業経営のてびき」を作成しました 申請はお済ですか?「非課税世帯等価格高騰支援給付金(追加)」の申請は30日までです 春の農業用水路転落事故防止強化期間について 「第3次黒部市子ども読書活動推進計画」を策定しました お知らせ一覧へ