ホーム お知らせ 川端 元治(かわばたもとじ 1902-1980) 川端 元治(かわばたもとじ 1902-1980) 2009年2月6日更新 このページを印刷する シェア ツイート ■日ソ漁業交渉にかけた情熱 昭和31年に日ソ(ソ連 ※現在のロシア)漁業条約が調印されました。その結果、北太平洋におけるサケ・マス漁業は、日本とソ連が毎年話し合って、それぞれの国がどれだけのサケ・マスをとるかということを決めてから行われることになったのです。これによって日本の母船式サケ・マス流網漁業(※2)だけでなく、中小のサケ・マス漁業者も影響を受けることになりました。 元治さんが全国サケ・マス流網漁業組合連合会会長となったのはちょうどこの時期で、昭和33年の第2回日ソ漁業交渉から昭和54年まで、元治さんは、実に延べ22回もの会議に参加し、ソ連との直接交渉に当たることになるのです。 交渉は、両国の利害が直接ぶつかる激しい論戦続きで、百日を超えることも珍しくなかったといいます。その間、元治さんは一貫して日本の北洋漁業の権利を守るために、粘り強く交渉を続けました。 特に、昭和36年の第5回交渉では「日本の漁業規制」を強く主張し続けるソ連側に対し、元治さんは強力に反対を続け、ついにソ連側の主張を退けたのです。その元治さんの活躍ぶりは、「日本に川端あり」として国内外に知られるようになりました。 【日本とロシアの交渉】 ※2 母船式サケ・マス流網漁業 母船とは、漁獲物を船内において冷蔵保存したり、缶詰に加工したりする設備をもっている船のことです。母船式漁業の中でも、流網を使ってサケやマスを漁獲するのが、母船式サケ・マス流網漁業です。 (続きを読む・・・) 最新のお知らせ 春の農業用水路転落事故防止強化期間について 黒部市立あおーよ図書館ボードゲームイベントについて 令和6年6月定例会の日程をお知らせします 黒部市地域公共交通計画の策定について 【5月~6月実施】スマホ教室参加者募集中! 福祉に関する計画 第4次黒部市地域福祉計画(令和6年度~令和10年度)を策定しました。 林道の通行状況について お知らせ一覧へ