ホーム お知らせ 川端 元治(かわばたもとじ 1902-1980) 川端 元治(かわばたもとじ 1902-1980) 2009年2月9日更新 このページを印刷する シェア ツイート ■夢の実現を願い続けて こうした不滅の業績を残した元治さんは、昭和55年9月、ついに息を引き取ります。77歳でした。 元治さんはその間際まで、「北海道の漁民の幸福のために」と、漁業のさらなる発展を願っていました。特に、根室周辺、貝殻島のコンブ漁の再開を強く願い、亡くなる10日前には知人を通してソ連大使館に、コンブ交渉再開の約束を取りつけていたそうです。最後の最後まで自分の夢を語り、その実現に意欲を燃やしていた元治さんは、まさに郷土愛と情熱の人であったといえるでしょう。 コラム ロシアと日本語で交渉 ソ連(現在のロシア)側と、のべ22回にもわたって交渉に当たった元治さんでしたが、意外なことにロシア語はまったく話せませんでした。ソ連人を相手に身振り手振りで自分の意思を伝え、一貫して日本の北洋漁業の権利と利益を守るために交渉を続けたのです。 しかし、元治さんは、ただかたくなに自分たちの権利を主張し続ける人ではありません。「ソ連がどんな国であっても日本の隣国ではないか。」と考え、ソ連との友好関係を築くことを目指していました。両国の漁業者同士が交流し合う活動を昭和49年(1974)から51年の3回にわたって実現させ、それが北海道日ソ水産親善友好協会創立のきっかけとなりました。日ソ漁業交渉での粘り強い交渉が成功を収めたかげには、こうした地道な心の交流活動があったのです。 元治さんは、色紙への揮毫(字を書くこと)を頼まれると、きまって「一生懸命」という言葉を書いたそうです。漁民のため、信念をもって一心に取り組んだ元治さんの人間性を表すエピソードといえるでしょう。 『語りつぎたい黒部人~黒部に足あとを残した人々』へ戻る 西暦 年齢 項目 1902 北海道庁根室支庁植別村羅臼(現在の羅臼町)に生まれる 1945 43 根室漁業会会長となる 1947 45 根室漁船保険組合長となる 1949 47 根室漁業協同組合初代組合長となる 1956 54 全国鮭鱒流網漁業組合連合会会長となる 1958 56 第2回日ソ漁業委員会日本政府代表顧問となる 1966 64 北海道漁業協同組合連合会会長となる 1966 64 水産功労によって褒章を受ける 1980 77 根室市名誉市民となる(第1号) 1980 77 亡くなる 最新のお知らせ 【2/28(金)~3/2(日)】インターネット相談窓口等の受付停止のお知らせ KOKOくろべで「健活」&「クラフト体験」 大雪に関する情報はこちらから(令和7年2月17日更新) 防災まちづくり講演会を開催します! 令和6年度黒部市高齢・障がい福祉施設等物価高騰対策支援金について 宇奈月温泉スキー場からの大雪に関するお知らせ 第7回マイプロジェクト発表会を開催します! 【2/21(金)】 JRにおける精神障害者割引制度の導入について お知らせ一覧へ