ホーム お知らせ 川端 元治(かわばたもとじ 1902-1980) 川端 元治(かわばたもとじ 1902-1980) 2009年2月6日更新 このページを印刷する シェア ツイート ■魚の価格を安定させた「川端方式」 サンマは、秋の味覚として代表的な魚です。昭和22年まで、全国で2~3万t台の水揚げにとどまっていましたが、翌年に棒受網漁法(※1)が開発されると水揚げ高が10倍以上にも増えました。昭和32年の記録を見ると、北海道内だけでも約12~13万tのサンマの水揚げがあり、値段は1貫目(約4㎏)当たりわずか2円、買う人もなく、岸壁に山積みになっていたということです。 魚の値段は、魚がほしい人ととれた魚の量で決まります。魚はそのままだと鮮度が落ちてだめになってしまうので、すぐに売らなくてはいけません。魚がたくさんとれるほど値段が下がってしまう「大漁貧乏」は、その後も数年間続き、漁業者たちの悩みの種となっていました。 元治さんは、昭和35年に北海道水産会会長となったことを機に、このサンマの魚価を安定させるための対策に取り組みました。ついに、それまでだれも考えたことのなかった新しい方法を考え出したのです。それは、あらかじめサンマの最低価格を決めておくという方法です。 サンマを加工して作る魚油、魚粕の市場での価格を調べ、それをもとにサンマの「最低価格」を計算し、決めておくことにしたのです。もしサンマが豊漁で、輸送や干物にする作業が追いつかなくなると、サンマが余って価格が最低価格を下回ってしまうことになります。そんなときに余ったサンマを市場から加工業者にまわし、魚油や魚粕に加工して保管してもらい、その保管にかかる費用を市場が補うことにしたのです。加工品はある程度保存がききますから、サンマの水揚げが集中していない時期に、販売へとまわすことができます(図参照)。 この方法は「川端方式」といわれ、漁業者や流通・加工業者を交えた委員会でさらに検討され、水産庁(現在の農林水産省)の支持も得ました。そして、再びサンマの豊漁となった昭和37,38年度にわたって、全国的に実施されたのです。 この川端方式は我が国最初の魚価安定対策であり、水産業界にとっての大きな一歩となりました。その考え方は、現在の「魚価安定基金」に受け継がれています。 ※1 サンマ棒受網漁法 ぼううけあみぎょほう サンマの魚群を発見したら船の速度を落とし、まず船の右側の集魚灯を灯し左側に網を入れます。次に右側の集魚灯を消して左側の集魚灯を点灯し、群れを網の中に誘導します。サンマが光に集まる習性があるので効率的で、経費も安くすむというよさがあります。 (続きを読む・・・) 最新のお知らせ ゴールデンウイーク期間中(4月27日~5月6日)の市内路線バスの運行について 令和6年能登半島地震による法人市民税等の申告・納付等の期限の延長について 令和6年度「農業経営のてびき」を作成しました 申請はお済ですか?「非課税世帯等価格高騰支援給付金(追加)」の申請は30日までです 春の農業用水路転落事故防止強化期間について 「第3次黒部市子ども読書活動推進計画」を策定しました 「第2次黒部市立図書館サービス計画」を策定しました 黒部市立あおーよ図書館ボードゲームイベントについて お知らせ一覧へ