ホーム お知らせ 飯野 栄作(いいのえいさく 1901-1978) 飯野 栄作(いいのえいさく 1901-1978) 2009年2月6日更新 このページを印刷する シェア ツイート ■戦争で受けた大きな試練 栄作さんの会社にとって大きな試練となったのは、第二次世界大戦でした。すべての海上交通が断たれ、貿易の仕事は全くなくなっていました。昭和19年に国交断絶し、翌年にはアルゼンチン政府が日本に対して宣戦を布告し、戦争状態となったからです。 アルゼンチンに住んでいた日本人は敵国人として登録され、月に1回警察に出頭することや、移転、長期旅行は事前許可を得なければならないなど行動を制限されました。そして日本系の企業は敵国の資産としてアルゼンチン政府に取り上げられ、管理されることになりました。 山田兄弟商会にもアルゼンチンの役人が突然やってきて、管理下におかれました。栄作さんらは必死で実情を説明し、敵国資産ではないことをうったえましたが、聞いてもらえませんでした。ボタン工場は続けられましたが、お金の出し入れが禁じられ、やがて、工場、家宅をも含めてすべてが取り上げられました。 戦争が終わっても、すぐには元にもどりませんでした。管理が解かれたのは3年半後のことでしたが、この間の経済的損失、精神的な打撃は少なくありませんでした。 日本との往来もすぐには自由になりませんでした。当時、日本で教育を受けていてもどれなくなった移民二世の子どもたちを呼びもどそうという「呼び寄せ帰国同盟」の運動も行われました。同盟の発足に山田兄弟商会を代表して栄作さんも協力していましたが、日本からの船が再びブエノスアイレスに入港したのは9年後の昭和25年になってからのことでした。 【飯野栄作さん・ふささん】 ※ 飯野栄作さんはスポーツマン アルゼンチン在住の日本人数人とともにテニスクラブをつくり、会長も務めました。テニスを通じて日本人間の交流親睦に役立てたいという思いだったというエピソードもあります。 アルゼンチン-日本 関係小史 1886年 初の日本人移民牧野金蔵が定住 1898年 外交関係樹立 1903年 初の日本総領事館を開館 1908年 アルゼンチンの第1次移住開始 1944年 第二次世界大戦により国交断絶 1945年 第二次世界大戦の終結 1952年 講和条約により国交回復 1959年 岸信介首相のアルゼンチン訪問 1961年 アルゼンチン大統領の来日 1963年 移住協定 1967年 皇太子ご夫妻(天皇皇后両陛下)のアルゼンチン公式訪問1998年 日ア修好100周年 (続きを読む・・・) 最新のお知らせ 【2/28(金)~3/2(日)】インターネット相談窓口等の受付停止のお知らせ KOKOくろべで「健活」&「クラフト体験」 大雪に関する情報はこちらから(令和7年2月17日更新) 防災まちづくり講演会を開催します! 令和6年度黒部市高齢・障がい福祉施設等物価高騰対策支援金について 宇奈月温泉スキー場からの大雪に関するお知らせ 第7回マイプロジェクト発表会を開催します! 【2/21(金)】 JRにおける精神障害者割引制度の導入について お知らせ一覧へ