ホーム お知らせ 飯野 栄作(いいのえいさく 1901-1978) 飯野 栄作(いいのえいさく 1901-1978) 2009年2月9日更新 このページを印刷する シェア ツイート ■移民社会のリーダーに 習慣が違う国で生活していくには、互いに協力し、助け合っていかなければなりません。栄作さんの功績は、会社を発展させるだけではなく、いろいろな活動に積極的に関わり、日本人移民社会のリーダーとして活躍したことです。 第二次世界大戦前には、子どもたちに日本語を学ばせる学校の父兄会長などの立場で教育の充実に力を注いでいました。戦争が終わったあとは、さらに数多くの役職を引き受けました。山田兄弟商会の代表という立場もあったのでしょう。しかし、何よりも、その人柄や姿勢が多くの人から信頼されていたからでした。栄作さんも、たのまれたことにはまじめに取り組み、まわりの期待にこたえたのです。 アルゼンチンへ移住した人で組織する日本人会の会長にも推され、移住者のための会館を整備したり、親睦を深めたりしました。昭和42年に皇太子ご夫妻(現在の天皇皇后両陛下)のアルゼンチン訪問を記念して、パレルモ公園の中に日本庭園が造られた際に、建設委員長を引き受けました。ご夫妻が庭園視察にご訪問されたとき、栄作さんは案内役を務めました。この庭園は両国親善のあかしとなるものでした。 【日本庭園開園式で皇太子ご夫妻を案内】 戦後のアルゼンチン移住者募集にも関わり、開拓したいという日本人に土地を提供し、支援する拓殖協同組合の組合長や日亜貿易協会理事長を務めました。さらに、日本の文化をアルゼンチンで、アルゼンチンの文化を日本で紹介する日亜文化協会役員にも名を連ねるなど、幅広い分野で両国の交流に足跡を残しました。 コラム 荻生小学校の二宮金次郎 荻生小学校の正門近くにたきぎを背負って書物を読んでいる二宮金次郎(尊徳)像があります。太平洋戦争前に勤労精神の象徴として各小学校に建てられましたが、荻生小学校の像は昭和14年(1939)、飯野栄作さんが寄付したものです。銅像の下には当時の矢野兼三県知事の「勤倹力行」(きんけんりっこう。勤勉で節約を重んじ、努力して行うという意味)の文字が刻まれています。しかし、昭和16年(1941)軍事用の材料とするため、荻生小学校からなくなりました。 戦後、栄作さんがそのことを聞いて残念がり、今の像が再び建てられました。アルゼンチンに移住しても、故郷に愛着を抱いていたのでしょう。日本に帰国する機会があると、荻生に立ち寄りました。 また、アルゼンチンでは富山県出身者と交流して富山県人会の設立に尽力し、2代目会長を務めました。また、富山県からアルゼンチンを訪れた人がいたら、案内役を務めることも多く、故郷を大事にしていました。 『語りつぎたい黒部人~黒部に足あとを残した人々』へ戻る 西暦 年齢 項目 1901 荻生村に生まれる 1917 16 下新川郡立農業学校を卒業、横浜の日新楼に勤める 1920 18 チリ・バルパライソへ。山田兄弟商会へ入社する 1920 19 アルゼンチン・ブエノスアイレスへ渡る 1928 26 西羽ふささんと結婚する 1939 37 ボタン製造工場建設に支配人として尽力する 1960 58 日本人会会長となる 1967 65 日本庭園建設委員長として皇太子ご夫妻をご案内 1972 70 勲章を受ける 1978 77 亡くなる 最新のお知らせ 伴走型出産・子育て応援事業について 要注意!引っ越しに関わるトラブルが多発しています。 黒部市職員採用情報 所得税の確定申告、市・県民税の申告相談が2/16(木)から始まります 道の駅KOKOくろべ内 Family Kitchen Kamome(ファミリーキッチンカモメ)よりお知らせ 電力・ガス・食料品等価格高騰緊急支援給付金について 確定申告会場にマイナンバーカード申請特設コーナーを設置します! 第23回富山県障害者スポーツ大会(水泳競技会)の参加者募集 お知らせ一覧へ