ホーム お知らせ 飯野 栄作(いいのえいさく 1901-1978) 飯野 栄作(いいのえいさく 1901-1978) 2009年2月9日更新 このページを印刷する シェア ツイート ■貿易、ボタン会社の経営に参加 そのころ、アルゼンチンと日本の貿易が本格的に始まって間もない時期でした。栄作さんが勤めた山田兄弟商会(※2)は、 大正2年にアルゼンチンへ渡った山田惣四郎さん、今村政五郎さんという兄弟が創業した貿易商社でした。当初は日本で仕入れた陶器や雑貨などの商品を販売していましたが、第一次世界大戦や戦後の世界的な景気に左右されながらも発展した会社でした。 他国に移り住んで生活していくためには、習慣、言葉のかべを乗りこえていかなければなりません。風俗、衣食住もちがい、さまざまな苦労がありました。移民のだれもが経験することでした。そのうえ、貿易は政治情勢や国際関係、経済動向などに影響されました。そんな中で栄作さんは、アルゼンチンに溶け込み、仕事に打ち込みました。真面目さともち前の行動力や知恵を活かし、会社のためにつくしました。 山田兄弟商会はその後、貝ボタンや電球の輸入も始め、特に電球は「ヤマダ電球」の名で一時は圧倒的な人気商品となるほどでした。貝ボタンも昭和14年(1939)に輸入から製造に切りかえ、従業員500人を抱える大きなボタン会社に発展しました。 栄作さんの存在は会社の中で大きくなっていきました。栄作さんの人柄や仕事ぶりに、だれもがたよりにするようになり、やがて経営に加わって専務支配人となり、手腕を発揮しました。 第二次世界大戦が起きたとき、日本から自由に行き来することはできなくなりました。創業経営者の山田、今村兄弟は当時ともに日本に滞在していてアルゼンチンにもどれなくなったため、栄作さんが会社経営の中心人物となりました。 【日本とアルゼンチン】 ※2 山田兄弟商会 1913年創業。アルゼンチンの日系社会において最長の歴史をもつ企業です。初期は貝ボタン等の輸入業を主にし、のちにボタンや電球の製造に力を入れました。しかし、1999年にアルゼンチンの政治変動や経済沈滞の打撃を受け、86年にわたる長い歴史を閉じました。 (続きを読む・・・) 最新のお知らせ 障がい者控除対象者認定書について 文化勲章受章記念&「黒部心象 鉄塔」披露特別展 田渕俊夫ー大地のうたー のお知らせ 大雪に関する情報はこちらから(令和7年1月14日更新) 令和7年度 会計年度任用職員の募集 黒部市美術館開館30周年 コレクション展vol.1「木々の語らい-木版画と彫刻と」のご案内 黒部市立あおーよ図書館ボードゲームイベントについて 祝・20歳を迎えられた皆さんへ 【1/11~】宇奈月温泉冬物語 雪上花火大会が開催されます! お知らせ一覧へ