ホーム お知らせ 川端 つか(かわばたつか 1896-1988) 川端 つか(かわばたつか 1896-1988) 2009年2月6日更新 このページを印刷する シェア ツイート ■方言の本が少ない! ―調査収集への思いは強く― 方言やなまり、幼な心を温めて育んでくれたわらべ唄などを集めようと、つかさんは関係のある本や書類を探し求めました。近くの図書館はもちろん、富山市の図書館にも足を運びました。 大正時代から昭和初期のこと、自家用車もなく汽車の運行本数も少ない当時、家から駅までの2kmの道を歩き、やっと汽車に乗って富山市へ行きました。今とは比べものにならない程に長い時間がかかって大変でした。それでも、つかさんは方言や唄などを調査収集したいと意気込み、何度も通いました。ところが、どこの図書館にも方言に関する本は少なく、がっかりしました。 「せっかく下新川郡(現在の魚津市から朝日町まで)から来られたのに、方言関係の書類がまだ少なくてね・・・。」 つかさんの熱意に打たれて協力してくださった図書館長さんも同情しました。つかさんは調査収集への行き詰まりを感じ、途方にくれてしまいました。 満足な成果を得られないまま、時間だけが過ぎていきました。しかし、方言の調査収集に対するつかさんの思いは強くなる一方でした。 「ご先祖様から、代々に語り唄いつがれた、心のこもった、生活や作業にちなんだふるさと言葉や民話、わらべの遊び唄を集めて味わいたい。きっと、ふるさとが見直され、祖先の生活をしのぶことができるはず・・・。」 【入善方面から見た漁村風景(昭和初期)】 ■多くの方の協力を得て『もしおぐさ』誕生 このままではいつまで経っても調査が進まないと悩んだつかさんは、協力者を探すことにしました。 「同じような思いを抱いている方々がいるにちがいない。その方々の力をお借りしよう。」 昭和10年から14年まで、つかさんは、つてを頼って富山県内小学校の女性教師に調査の協力をお願いしてみました。すると、つかさんの思いに共感した多くの方々から、県内各地の方言や遊び唄などがたくさん集まってきました。つかさんは、協力してくださった方々に深く感謝しました。 方言や民謡、踊り音頭、遊び唄などを教えていただいたお礼に、私も他の所の似ている方言や遊び唄をもっと調べ、それらも添えて皆さんに報告しよう。つかさんの夢は大きく膨らみます。 けれども、調査収集は思うように進みません。いつしか歳月が過ぎ、つかさんは80歳を迎えていました。このままでは協力してくださった皆さんにも申し訳ない。後悔の念にかられたつかさんは、これまで収集したものを、まずはありのままに本にまとめることにしました。そして、「生地が新治(にいはり)と呼ばれていたころ、藻しお焼いて塩を作る煙のたなびく浦であった。」という伝承があることから、その浦里の言葉を集めたとの思いを込めて、『もしおぐさ』と名づけました。 昭和53年早春、富山県の方言や唄を掲載した本『もしおぐさ』をついに出版。この本を通して人々がふるさとの言葉をいとおしみ、先人をしのぶ縁(よすが)となることを願いました。 ※ 生地の由来 昔、生地は新治村(にいはりむら)と呼ばれていましたが、1185年に大津波がおこって村全体が水没してしまいました。そんな状態から復興した新治村の人々は、「生まれた土地に帰る」という意味と「新たな土地が生まれた」という意味を取って、村の名前を「生地」と改称しました。生地にある新治神社(にいはるじんじゃ)は、旧村名の名残です。 (続きを読む・・・) 最新のお知らせ 【2/28(金)~3/2(日)】インターネット相談窓口等の受付停止のお知らせ 4/13(日)マイナンバーカードの休日窓口を開設します KOKOくろべで「健活」&「クラフト体験」 大雪に関する情報はこちらから(令和7年2月17日更新) 防災まちづくり講演会を開催します! 令和6年度黒部市高齢・障がい福祉施設等物価高騰対策支援金について 宇奈月温泉スキー場からの大雪に関するお知らせ 第7回マイプロジェクト発表会を開催します! 【2/21(金)】 お知らせ一覧へ