ホーム お知らせ 川端 つか(かわばたつか 1896-1988) 川端 つか(かわばたつか 1896-1988) 2011年1月26日更新 このページを印刷する シェア ツイート ■ふるさとの言葉を残したい その後も、ふるさと言葉を調査収集したいというつかさんの熱意は消えることはありませんでした。つかさんは、古老を訪ねては聞き取り調査し、生地独得の方言の発掘に努めました。 時が移り変わるにつれて方言は使われなくなり、人々の言葉は共通語へとどんどん変わっていきます。その速いこと速いこと。さらには次々に新語も生まれ、つかさん自身も面くらい、とまどう日々でした。 「このままでは生地の方言がどんどんなくなってしまう・・・。」 人々の生活の中から消えつつあるふるさと言葉への愛着から、つかさんは、これまで調査収集してきた生地の方言を本にして残そうと、決意を新たにしました。そして、衣料や身の回り品、食事関係、行事や風俗、漁業関係用語などの項目ごとに分類し整理する作業に取りかかりました。 昭和59年、60年以上の歳月をかけてこつこつと調査収集した生地の方言をまとめた本『もしおぐさ(続)』を出版しました。これは、衣料や身の回り品、食事関係、行事や風俗、漁業関係用語などの項目に分類して、生地の方言を整理したもので、いまでもこれほど詳細に調査した例はありません。つかさんの長年の願いがとうとう叶ったのです。つかさんは87歳になっていました。 昭和63年1月、つかさんは91歳で亡くなりました。その年の8月、生前の思いを汲み取った遺族の手で、『もしおぐさ(続々)―わが町生地今昔―』が出版されました。それには、つかさん独自の視点で書き進めていた生地の歴史や人々の暮らしぶり、民話、ことわざなどが詰まっています。 本の中でつかさんは語っています。 「防波堤にもたれて夕日に映える平静な海面を眺めると、実に黄金の大鏡!その輝きに目が眩む。静かに閉じて『我は海の子』を口ずさむ。海の香が匂う。ああ、我はこの海の気を吸うて育てられた。有難い海をこよなく敬愛する。無尽の宝庫、この海の恩恵は無限無量・・・到底推し測られぬ。」 若いころに抱いた思いを、80歳を過ぎてもなおもち続け、夢や願いを実現していったつかさん。ふるさと生地を愛し、ふるさとの言葉への熱い思いを胸に抱いて、その調査収集に一心をかけ、一筋に生きぬいた人でした。 コラム なァさのお話 むかしむかし、あるお寺で、なァさ(お手伝いさん)を雇いました。そこで奥さんは「これ、なァさ、お前の言葉づかいは悪いから、これから丁寧な言葉づかいをしてほしい。まず、何にでも、必ずおの字をつけて言うことを忘れぬように。」と、注意しましたので、なァさは「おはい、おはい。」と、返事をしました。 その日の夕方、風が強く吹いてきたので、なァさは「お奥様お風が強くお吹きで、お干物がおたっていくようだし、お瀬戸のお木に、お掛けてあるお摺木は、おことんおことんと、おなっております。」と言いました。 川端つか遺稿集『もしおぐさ(続々)』より 『語りつぎたい黒部人~黒部に足あとを残した人々』へ戻る 西暦 年齢 項目 1896 生地町に生まれる 1917 21 師範学校を卒業。生地尋常高等小学校の先生となる(1939年まで) 1919 23 助詞商業補習学校の先生を兼任する 1925 29 生地実業補習学校の先生を兼任する 1939 43 下新川郡24か町村学校組合立農業学校教授嘱託 1952 56 生地町の初代公選教育委員に当選する 1954 58 黒部市連合婦人会長となる 1978 82 『もしおぐさ』を発行する 1984 88 『もしおぐさ(続)』を発行する 1988 91 亡くなる 最新のお知らせ 【2/28(金)~3/2(日)】インターネット相談窓口等の受付停止のお知らせ 4/13(日)マイナンバーカードの休日窓口を開設します KOKOくろべで「健活」&「クラフト体験」 大雪に関する情報はこちらから(令和7年2月17日更新) 防災まちづくり講演会を開催します! 令和6年度黒部市高齢・障がい福祉施設等物価高騰対策支援金について 宇奈月温泉スキー場からの大雪に関するお知らせ 第7回マイプロジェクト発表会を開催します! 【2/21(金)】 お知らせ一覧へ