ホーム お知らせ 川端 つか(かわばたつか 1896-1988) 川端 つか(かわばたつか 1896-1988) 2009年2月6日更新 このページを印刷する シェア ツイート ■生地伝承の言葉を調べてみよう つかさんは、どのようにして、ふるさと言葉の調査収集への思いを抱いたのでしょうか。 大正時代の中ごろ。女子児童の大部分は、生地尋常高等小学校を卒業すると、東京、大阪、名古屋方面の紡績工場へ働きに行きました。小学校を卒業したばかりの女の子にとって、親や兄弟らの住むふるさとは懐かしく、心の支えでもありました。女の子たちは、そのふるさとの言葉が他の人から荒々しく分かりにくいなどと言われ、職場の人たちとのつきあいに苦労しました。その話を耳にしたつかさんは、遠くはなれた土地で一生懸命に働く教え子たちの生活に心を痛めました。 ある日、「生地ことばで語ろう会」が開かれることになり、つかさんもその会に招かれました。その席上、生地町出身で東京在住のある社長さんがお話しされました。 「オラ、生地の言葉が大好きで、東京にいてもなるべく使っている。生地へ帰省するのも、生地の昔ながらの情のこもったこの言葉を聞き、みんなと語り合いたいからだ。 生地言葉の中に、日本一の簡単で通用できるものがあるぞ。先祖代々使ってその魂や血の沁みこんだ由緒ある方言がたくさんあるぞ。ボンヤリしていたら消えてしもうぞ。どうか生地伝承のよい言葉を探し出して使って生かし続けてほしい。」 つかさんは、その方のふるさとの言葉を大切に思う心に感銘を受け、生地の方言を調べてみようと決心しました。教師として働き始めてまもない20代のころのことです。 【地曳網を引く風景】 ※ しばんば この歌は、昔の女が塩を作るための柴を刈るときの歌で、柴刈姥(しばかりうば)がなまって柴姥(しばうば)になり、歌の名になったそうです。柴刈りの労苦をいたわり励まし、楽しみのために歌われていました。現在は、盆踊りや町流し、生地小学校運動会の全校踊りとして、今も人々に親しまれています。 (続きを読む・・・) 最新のお知らせ 令和7年度 当初予算の概要 令和7年第2回黒部市議会3月定例会ライブ中継 黒部駅西側出口整備等利便性向上基本構想(黒部駅周辺地区バリアフリー基本構想)の策定について 「宮野運動公園桜維持管理計画」の策定について 四種混合ワクチンの予防接種が完了していない方へ 黒部シアター2025 春 舞踊公演 『めまい-死者の中から』 「第2期黒部市スポーツ推進プラン(案)」に関する市民パブリックコメントの実施結果について 幻の桜 コヒガン「八重彼岸」発見! お知らせ一覧へ