ホーム お知らせ 佐度 忠作(さどちゅうさく 1910-1966) 佐度 忠作(さどちゅうさく 1910-1966) 2009年2月6日更新 このページを印刷する シェア ツイート ■記録するということ 忠作さんの研究には、いくつものすぐれた特徴がありました。 ①出土した場所を、細かく几帳面に日誌として記録していたこと。 ②出土した土器や石器の1点1点に出土場所と出土年月日を記録していたこと。 忠作さんの集めた土器や石器には、2,3㎝の小さなものまですべてに、場所と年月日が墨で書かれています。 当時は、大まかな出土場所を記した段ボールにまとめて保存しておくのが一般的でした。この方法だと、他の人に渡ったり、ダンボールから遺物を出し入れしたり、地震が起きたりすると、元はどこの場所にあったのかが分からなくなるのです。 忠作さんの保存方法だと、いつだれが見ても、出土地点と出土年月日を知ることができるのです。このことが重要です。現在では当たり前となった方法ですが、考古学研究の始まったばかりの富山県で、忠作さんのように記録をきちんと残している人は少なかったようです。 残された土器や石器は、忠作さんが亡くなったあと、長く後世に伝えてゆくため、『佐度コレクション』として黒部市に寄贈されました。 【忠作さんの日誌より】 ■『宇奈月町の石器と土器』 調査に明け暮れていた忠作さんの訪れた遺跡は、県内で80か所あまりにのぼります。考古学研究において、1つの遺跡をじっくりと研究することも大切ですが、広域を見渡して全体像を知るということも大切です。 ―わたしたちの先祖たちはこの場所で、どんな生活をしていたのか―そんな広い視点で忠作さんの研究を進め、やがては調べた結果をまとめて残したいと願っていました。しかし、日ごろの無理がたたって、忠作さんは56歳という若さで、亡くなってしまいました。 忠作さんの志は、宇奈月社会科学研究会(※2)に引きつがれ、『宇奈月町の石器と土器』が出版されました。 忠作さんの残した原稿には、何度も書き直されたあとがありました。それは、書き下ろしたあとに研究が進んだために訂正をしたというのと、しばらく時間を経てちがう考えが生まれてきたということがあったのでしょう。 いずれにせよ、ひととおりのことでは満足せず、どこまでも几帳面に研究をしていた忠作さんの姿がしのばれる原稿です。何度も書き直された原稿は、古代史研究へ向ける執念すら感じさせます。 『宇奈月町の石器と土器』では、土器や石器を詳しく分類・分析がなされたうえ、それぞれの遺跡の発掘経過や特徴を簡潔に記してあります。宇奈月町にある遺跡の傾向を分析し、現状と課題をまとめ、のちの研究に期待すると結んであります。 ※2 宇奈月社会科学研究会 宇奈月町内小中学校の先生たちによる研究会。子どもたちの社会科学習のために資料を編さんし、教材開発などを行っていました。発掘などで調べた成果をもとに授業を行っていた忠作さんの噂を聞きつけ、研究会の活動に活かそうと、たびたび指導を受けていたそうです。 (続きを読む・・・) 最新のお知らせ ゴールデンウイーク期間中(4月27日~5月6日)の市内路線バスの運行について 令和6年能登半島地震による法人市民税等の申告・納付等の期限の延長について 令和6年度「農業経営のてびき」を作成しました 申請はお済ですか?「非課税世帯等価格高騰支援給付金(追加)」の申請は30日までです 春の農業用水路転落事故防止強化期間について 「第3次黒部市子ども読書活動推進計画」を策定しました 「第2次黒部市立図書館サービス計画」を策定しました 黒部市立あおーよ図書館ボードゲームイベントについて お知らせ一覧へ