ホーム お知らせ 田中 冬二(たなかふゆじ 1894-1980) 田中 冬二(たなかふゆじ 1894-1980) 2009年2月4日更新 このページを印刷する シェア ツイート ■初めての詩集『青い夜道』 文学への傾倒が見られるようになったのは、立教中学(現在の立教池袋中学校・高等学校)時代で、友人と回覧雑誌『紅筆』をつくります。また、雑誌『文章世界』に投稿した短文「旅にて」が特選になりました。 冬二さんは、立教中学を卒業後、安田系の第三銀行へ就職しました。銀行員として忙しく働くかたわら、詩の雑誌を愛読していました。 のちに大詩人となった冬二さんでしたが、最初のころは自分自身で詩を書くほどの自信も、その気もなかったというのです。時が経つにつれ、読むだけでなく、詩のようなものを書いてみるようになりました。発表する気もなく、大事にしまっておいたのですが、自分の作った詩にどんな価値があるのか知りたくなりました。 そこで、初めて作った詩「蚊帳(かや)」を思い切って、愛読していた雑誌『詩聖』に送ってみました。すると、有名な詩人の作品と並んで「蚊帳」が掲載されたのです。それをきっかけに、冬二さんは、詩作の道を歩むことを決意しました。のちに、冬二さんは、その時に掲載されなかったら、詩の道をあきらめていただろうと言っています。 「蚊帳」を書いてから8年間、大変に苦しみながら詩作に励みました。初めての詩集は『青い夜道』というタイトルで、第一書房から出版されました。「ふるさとにて」もこの詩集に収められています。できあがった本が届いたときは、包みを広げる手が震えるほど嬉しかったそうです。『青い夜道』は、日本の文学界において大絶賛を受けました。 なお、『青い夜道』に収められている「くずの花」という作品は、何度書き直しても満足いかなかったので、完成するまでに半年もかかったといいます。 ―くずの花― ぢぢいと ばばあが だまって 湯にはひってゐる 山の湯のくずの花 山の湯のくずの花 宇奈月の湯元、黒薙温泉(くろなぎおんせん)を舞台にしたこの作品を発表したときに、ある評論家は「あのようなものなら、小学生の作文と同じ程度で、だれにでも書ける。」と言ったそうです。しかし、冬二さんは、なんと言われようとも気にしませんでした。冬二さんは、だれにでも分かるような、やさしい言葉を用いて、格調の高いものを目指していたからです。 さて、そんな詩を思うままに、たやすく書けたら楽でいいのですが、それでは張り合いがありません。非常に苦心して詩作をするところに張り合いがあり、魅力もあるのです。それは、山岳家があこがれの山の頂上をきわめるために、あえぎながら困難な場所を乗り越えていくようなものです。 「制約のきわみ」ともいうべき「くずの花」はこうして生まれました。これは、幼いころに両親を亡くし、叔父の家で厳しく育ったことが、こうして真正面から詩作に取り組むという姿勢にも表れているのです。 ※ 長谷川巳之吉 はせがわみのきち(1893-1973) 評論家、詩人、出版人。冬二さんが、初めて作った詩を投稿した雑誌『詩聖』の編集者。巳之吉さんは、冬二さんの詩「蚊帳」を目にとめ、掲載しました。その後、出版社第一書房を創業し、冬二さんの初めての詩集『青い夜道』の出版に力を注ぎました。 (続きを読む・・・) 最新のお知らせ 令和7年度黒部市公募提案型協働事業公開プレゼンテーション審査会を開催します <3/30(日)>あおーよde出会いカフェ★ 令和6年度 詩の道句集事業 選定結果のお知らせ 勤労青少年ホームの愛称決定! 第7回マイプロジェクト発表会(開催結果) 黒部マチヂカラ商品券を販売いたします! 市保有財産(土地)での事業希望調査の実施(募集) 【令和7年6月30日まで受付】『令和7年大船渡市赤崎町林野火災義援金』の受付について お知らせ一覧へ