ホーム お知らせ 冠 松次郎(かんむりまつじろう 1883-1970) 冠 松次郎(かんむりまつじろう 1883-1970) 2011年1月26日更新 このページを印刷する シェア ツイート ■奇跡の景観「十字峡」の発見 大正9年、冠は黒部下廊下の完全遡行(かんぜんそこう。流れをさかのぼっていくこと)を目指して、長次郎を案内に頼みます。立山から内蔵助谷(くらのすけだん)を下り、黒部川本流から下流に抜けようというのです。陸地測量が進んでようやく黒部の地図がはっきりと描けるようになったころですが、電源開発はまだなく、黒部川を谷沿いに抜けた人はありません。すべてが分からないのですから、長次郎の勘は、冠にとってはとても頼もしいものだったにちがいありません。 黒部の谷の特徴は、両岸が切り立った壁になっているところにあります。河原がなく、川とが接した場所をゴルジュと呼び、黒部では「廊下」と呼んでいました。冠の探検隊は、延々と続く廊下を、壁に張りつくように移動する「へつり」や木や石を使った橋をかけて下っていきます。いずれも、足を滑らせればそのまま転落するか、黒部の激しい流れにのみ込まれるような危険な場所です。切り立ったがけには木々の姿が少なく、そのため黒部の谷は明るく、澄み切った水底にまで光が届き、川底の石ひとつひとつまでもが目映く見え、険しさの中に思いもかけない美しさがあります。冠はいよいよ原始の姿をそのままに残したかのような黒部の谷の姿に感動し、魅せられます。 しかし、探検隊は、降り続く雨に閉じこめられ、食料が不足し、廊下の上半分だけを抜け、断念しなくてはなりませんでした。 下廊下への再挑戦は、大正14年。今度は、宇奈月側から上流へ向かって遡行します。三日市から宇奈月へ開通間もない黒部鉄道(現在の富山地方鉄道)を使い、ここから電源開発のために敷かれたレールをたどり、鐘釣温泉に入りました。いよいよこれからが、この探検の始まりです。今度も長次郎がいっしょです。 宇奈月温泉開湯や電源開発で少しずつ姿を変えた黒部の様子を目の当たりにしながらも、相変わらず激しい谷を遡行します。今回は、これまでの経験や情報からイギリス製のザイル(登山用の綱)など十分な装備を用意しました。電源開発の道がつきると、原始の黒部が行く手をさえぎります。一歩でもしくじれば命が失われる岩壁をへつり、谷をわたり、山と山がぎっしりと詰まったかのような黒部の本流を進みます。やがて、狭い谷が水を吹き出すように本流に合流する場所に出ました。まさしく、それが剱沢(つるぎさわ)です。剱岳の岩に降り注いだ雨や雪を集めた大きな流れです。 しかし、大きな水音は別の方向からも聞こえてきます。水音に誘われるように振り返った冠らが目にしたのは、とても自然が作り上げたとは思えぬ奇跡のような光景です。後立山の水を集める棒小屋沢(ぼうごやざわ)が剱沢から黒部川をはさんだ本当に真向かいに流れ込んでいます。黒部川の本流に上流を向いて右に剱沢が、そして、ちょうど、黒部川に剱沢と棒小屋沢がまるで交差点の十字路のように垂直に交わっているのです。こんなことがあるのでしょうか。冠はここを「廊下の十字峡」と呼び、やがて、黒部川随一の奇観「十字峡」として人々に知られることになります。 (続きを読む・・・) 最新のお知らせ 防災まちづくり講演会を開催します! 【小学生限定】宇奈月温泉スキー場のリフト料金無料デーを開催いたします 令和6年度黒部市高齢・障がい福祉施設等物価高騰対策支援金について 大雪に関する情報はこちらから(令和7年2月10日更新) 宇奈月温泉スキー場からの大雪に関するお知らせ 第7回マイプロジェクト発表会を開催します! 【2/21(金)】 JRにおける精神障害者割引制度の導入について 「第2期黒部市スポーツ推進プラン(案)」に関する市民パブリックコメントの実施について お知らせ一覧へ