ホーム お知らせ 冠 松次郎(かんむりまつじろう 1883-1970) 未知の渓谷美に魅せられて 黒部渓谷探検(※1) 冠 松次郎(かんむりまつじろう 1883-1970) 未知の渓谷美に魅せられて 黒部渓谷探検(※1) 2009年5月13日更新 このページを印刷する シェア ツイート ■黒部奥山廻りのころ 今、黒部川といえば、日本でも有数の厳しい自然で知られています。苦難の連続だった電源開発大事業、黒部ダム(※2)の建設や、恐ろしい雪崩や洪水の被害、また、黒部川からそそりたつ立山連峰、後立山連峰などの黒部奥山の険しい山々は多くの人の関心を集め、その土地に立つことは難しくてもたくさんの映像や資料で紹介されています。しかし、こうした黒部の姿が人に知られるようになったのは、それほど昔のことではありません。 黒部奥山は、山麓の人々が時々山仕事のために入るばかりで、また、簡単には人が行き来できない険しい場所でもあり、逆に侵入されてもわかりにくい場所でもありました。そのため、江戸時代、富山県東部の新川地方を治めた加賀藩主の前田利家は、「奥山廻り」という役を置いて信州と国境を接するこの地を厳しく管理するようになりました。限られたわずかな人々が黒部のことを知っていた時代です。 ■渓谷美の発見 明治の中ころになると、ヨーロッパから伝わった「登山」の考え方が広がり、盛んになってきました。山仕事や信仰登山ではない山の探検です。これまで登られたことのない山々が多くの登山家によって登られました。 このころの登山家の一人に富山市生まれのイギリス文学者であった田部重治(たなべじゅうじ1884-1972)がいます。田部は、山と谷が織りなす渓谷や深林に日本独特の山の美しさを見いだした人と言われています。田部が見つけた渓谷の美しさを徹底して黒部に追い求めたのが、冠松次郎でした。 ※1 黒部渓谷 くろべけいこく 冠は、現在「黒部峡谷」と呼ばれている谷を、「黒部渓谷」と言い表しました。これは、冠が日本独特の山岳の姿として田部重治(たなべじゅうじ)が用いた「渓谷」ということばにひかれていたからです。そのため、ここでも「黒部渓谷」を使っています。 ※2 黒部ダム 昭和36年に発電を始めた黒部川第四発電所に水を供給する黒部本流最大のダムです。アーチ式ドーム型で高さ186mは国内最大で、世界的に見ても大規模なダムです。また、立山黒部アルペンルート一番の見どころとして、世界中から多くの観光客が訪れています。 (続きを読む・・・) 最新のお知らせ 黒部市手話講習会入門講座の受講者募集 黒部市歴史民俗資料館 メタバースに「愛本刎橋」が登場! 能登半島地震に関連する市からの情報 黒部市立地適正化計画改訂版の公表について 石田漁港の釣桟橋は、4月10日(水)から利用できます! 令和6年度 当初予算の概要 令和6年度市民農園新規利用者 随時募集中!! 令和5年度 詩の道句集事業 選定結果のお知らせ お知らせ一覧へ