ホーム お知らせ 佐々木 助七(ささきすけしち 1865-1945) 山を知り、山に暮らし、山とともに生きる 佐々木 助七(ささきすけしち 1865-1945) 山を知り、山に暮らし、山とともに生きる 2009年2月6日更新 このページを印刷する シェア ツイート 【左から 佐々木助七 戸田森林主事 佐々木仁次郎】 ■山にくらす 音沢(※1)は、黒部川右岸の集落です。険しい山を切り裂いてきた黒部川は、谷を抜け、まもなく扇状地に流れ出そうとしています。こんもりとした山が集落を見守り、家々は黒部の流れに程近く、その息吹を感じながら暮らしているようです。 佐々木助七(※2)こと、助三郎が生まれたのは、江戸時代が終わり、明治が始まろうとする慶応元年(1865)のことでした。この地方を治めていた加賀藩は、黒部峡谷の奥深い山々を厳しく管理するため、「黒部奥山廻り」という役をおいていました。密かに藩内に入り込む人々や、鉱物・木材の持ち出し、獣などの猟を取り締まっていたのです。 明治時代に入ると、登山という新しい考え方が入ってきましたが、黒部はまだ山間に暮らす人々の生活の場でした。助七もやがて、先輩の猟師のもとで山の仕事を学びます。 山の仕事は、人の知恵と経験の奥深さを教えてくれます。田畑のように耕して種をまき、やがて収穫するというものではなく、入り込むことさえ難しい奥深い自然のなかにある山の恵みを自分で手に入れる力が必要です。 ※1 音沢の由来 音谷川の下に沢があり、ここに村をつくったのが「音沢」の由来と言われています。宇奈月温泉ができるまでは、黒部川で最も上流にある集落で、人々は山仕事や石灰製造、木地屋(きじや)として生計を立てていました。橋が架けられていなかったころ、内山村とは船で行き来をしていました。 ※2 佐々木助七の呼び名 助七は屋号で、本名は助三郎です。助七には、「黒部の怪傑(かいけつ)」以外にも「黒部の山の神」「黒部の生きた地図」「黒部の山の名物」「黒部の生き字引」、などと呼び名は数多くあります。地元の人々は、愛着と尊敬をこめて「助ま」「助さ」などと呼んだそうです。 (続きを読む・・・) 最新のお知らせ 防災まちづくり講演会を開催します! 【小学生限定】宇奈月温泉スキー場のリフト料金無料デーを開催いたします 令和6年度黒部市高齢・障がい福祉施設等物価高騰対策支援金について 大雪に関する情報はこちらから(令和7年2月10日更新) 宇奈月温泉スキー場からの大雪に関するお知らせ 第7回マイプロジェクト発表会を開催します! 【2/21(金)】 JRにおける精神障害者割引制度の導入について 「第2期黒部市スポーツ推進プラン(案)」に関する市民パブリックコメントの実施について お知らせ一覧へ