ホーム お知らせ 草野 久也(くさのひさや 1904-1984) 草野 久也(くさのひさや 1904-1984) 2009年2月9日更新 このページを印刷する シェア ツイート ■一診療医として 草野先生は「医聖」と呼ばれることがありました。「聖」というのは、何か人間の根本にふれる尊い特別のものに使われる文字です。 先生は、大変に研究熱心だったそうです。病院前にある先生の銅像は、胸にしっかりと本を抱えています。いつでも研究を忘れず、新しいことや分からないことに向き合い解決するまでをとても楽しそうにしていたそうです。そのことが、また、患者さんの病気の解決につながったときには、いっそううれしそうにしていたようです。 また、何よりも患者さんの話によく耳を傾けたそうです。患者さんは多くの不安を抱えています。その不安を受け止め、少しでも希望がもてるよう、ていねいに話を聞いたということです。 ある看護師さんは、先生の回診のとき、おばあちゃんがベッドから降りて土間に手をついてあいさつされた光景に驚いたと話しています。銅像の台座には「医と仁」という文字が刻まれています。「仁」は人の心で、人道や博愛ともつながることばです。 先生は、院長として病院の運営の責任者として大きな役割を果たしてきました。しかし、患者さんに向き合って納得できるまで診察をするという内科のお医者さんとしての仕事がどうしても両方満足に勤めることができないということで、やがて院長職を退き、患者さんに身近な診療医としての仕事に絞るという決断をしました。ふるさとに懸命に生きる人々の姿に寄り添い、そこで医療を行いたいと願った先生の、より患者さんに近い方へという選択でした。 黒部市民病院の大きな建物は黒部市や周辺の町からもよく見えます。診療科は28科、ベッド数は414という大きな病院に発展しました。すばらしい施設や設備、優秀なスタッフをそろえ、私たちの健康を守るその病院は、草野先生が伝えられた「日々念心」という気構えで支えられているように見えます。それは、先生が愛したふるさとの山々に負けないくらいに高く雄々しく、それでいて、やさしさと地域医療への誇りに満ちあふれています。 『語りつぎたい黒部人~黒部に足あとを残した人々』へ戻る 西暦 年齢 項目 1904 泊町(現在の朝日町)に生まれる 京都大学を卒業後、内科医として勤務 1947 43 桜井町国民健康保険組合直営立下新川厚生病院開院。初代院長となる。 1957 53 院長を辞職し、内科医長として診療を続ける 1975 71 名誉院長となる 1976 72 黒部市の名誉市民となる 1976 72 黒部市民病院に名称が変更される 1977 73 病院前に銅像が建立される 1984 79 亡くなる 最新のお知らせ 黒部シアター2025 冬-温泉とシネマの旅- 【11/20(木)開催】魚の駅「生地」実践型インターンシップ成果報告会を開催します 障害者スポーツ審判員養成講習会「ボッチャ」の受講者募集 エコぽ~と設備改修工事に伴うごみの収集時間について 道の駅「KOKOくろべ」11・12月イベント 【参加者募集!】複業マッチングプログラム説明会 黒部市職員採用試験について(令和8年4月1日採用) 黒部市長選挙及び黒部市議会議員補欠選挙の日程について お知らせ一覧へ