ホーム お知らせ 雪山 俊夫(ゆきやまとしお 1880-1946) 雪山 俊夫(ゆきやまとしお 1880-1946) 2011年1月26日更新 このページを印刷する シェア ツイート ■研究者として世界に羽ばたく 俊夫さんの業績は、教育者としてはもちろんのこと、研究者としても認められ、文部省(今の文部科学省)のすいせんによって、ドイツのライプチヒ大学に留学することになりました。 大正時代のドイツ文学研究の特徴は、各時代の文学の基礎や中世の文学、語学について熱心に研究されていたことでした。このような状況の中で、俊夫さんは、語学の研究で有名なレーテ教授、ヘルマン教授、ジーフェルス教授のもとで語学を学びました。そのかたわら、シュトライトベルク教授からは、インドやヨーロッパの文献学も学んだのです。 ■読書をこよなく愛し、生涯学び続ける ドイツから帰国した俊夫さんは、京都帝国大学(現在の京都大学)で19年間勤めました。昭和19年に、京都帝国大学を退職して浦山の善巧寺へ帰り、門徒の教化にあたりました。浦山にもどる1年前に奥様が亡くなり、三男三女の子どももそれぞれ巣立ってしまった浦山での生活は、とても寂しかったと思われますが、俊夫さんは、亡くなるまで、ひたすら読書の生活を続けたのでした。俊夫さんは、生涯を通じて、「学問とは何か。」を自身の後ろ姿で示し続けたのです。 ※ いちょうの木 善巧寺にあるいちょうの木には、昔、たくさんの実がなりました。子どもたちが、その実を拾いに来て、けんかが絶えませんでした。それを見ていた僧鎔さんは、いちょうの木に「子どもがけんかしてどうもならんので、もうならんでくれ」と頼むと、実はならなくなったそうです。 コラム 雪山俊夫先生をしのんで 雪山俊夫さんの思い出を、ご長男で善巧寺第20世住職の俊之さんは、次のように話しておられます。 「父は、大変、本を大切にする人でした。また、私たちには自分の後ろ姿を通して教えてくれる人でした。たとえば、ドイツ語の勉強にしても、父の書斎に行くと、原書しかなく、語学を学ぶには、原書をあたれと言わんばかりでした。このように、直接、教えられなくても、後ろ姿からたくさん学ぶことがありました。また、大学勤務のころは、家の2階は、本に押しつぶされんばかりの状態で、読みつくされた本の山でした。住職となって、学校が休みになると寺にいましたが、近所の人は、いつまでも消えない窓の灯を見て、いつ寝ておられるのか不思議だと、噂したものです。それぞれの本には、いろんな世界があり、深い味わいがあります。本を大切にしなければなりません。」と。 (続きを読む・・・) 西暦 年齢 項目 1880 浦山村に生まれる 1902 22 東京帝国大学を卒業する 1906 26 金沢第四高等学校に勤務する 1912 32 岡山第六高等学校に勤務する 1918 38 善巧寺第19世住職となる 1921 41 ドイツに渡り、ライプチヒ大学に学ぶ 1925 45 京都帝国大学に勤務する 1935 55 ドイツ政府からフンボルト賞を受ける 1944 64 浦山に帰郷する 1946 66 亡くなる 最新のお知らせ ゴールデンウイーク期間中(4月27日~5月6日)の市内路線バスの運行について 令和6年能登半島地震による法人市民税等の申告・納付等の期限の延長について 令和6年度「農業経営のてびき」を作成しました 申請はお済ですか?「非課税世帯等価格高騰支援給付金(追加)」の申請は30日までです 春の農業用水路転落事故防止強化期間について 「第3次黒部市子ども読書活動推進計画」を策定しました 「第2次黒部市立図書館サービス計画」を策定しました 黒部市立あおーよ図書館ボードゲームイベントについて お知らせ一覧へ