ホーム お知らせ 田中 冬二(たなかふゆじ 1894-1980) 田中 冬二(たなかふゆじ 1894-1980) 2009年2月5日更新 このページを印刷する シェア ツイート ■心のふるさと―生地― 【昭和25年頃 生地の松林】 冬二さんは、明治27年(1894)銀行員だった父吉次郎さん、母やゑさんの長男として福島市に生まれました。父の吉次郎さんは、黒部市生地で雑貨商を営む田中長七さんの長男で、国際観光旅館たなかや(黒部市生地)の分家でした。母のやゑさんは、水橋町(現在の富山市水橋)の太田弥五郎さんの長女でした。やゑさんの母つねさんは、安田銀行の創業者安田善次郎さん(※1)の妹にあたります。 父吉次郎さんは安田銀行員でしたが、明治34年、赴任先の秋田で、過労のために急死します。その後、冬二さんたち一家は、東京で暮らしましたが、5年後に母やゑさんも亡くなってしまいます。両親を亡くした冬二さんは、祖父安田善次郎さんの冬二さんによい教育を与えたいという希望により、東京の叔父安田善助さんに引き取られることになりました。 わずか12歳で両親と死に別れ、3人いた弟妹ともはなれて暮らすことになったのです。このことは、冬二さんの人生に大きな影響を与えました。 生地には、冬二さんの祖父母がいました。何かにつけ厳しい東京の家とは違って、生地の祖父母はおおらかで温かく、ときおり帰ってくる冬二さんを迎えました。生地で過ごしたのは学校の夏休みくらいでしたが、祖父母の温もりを感じる生地を、自然ななりゆきで心のふるさととするようになったのです。のちに生地を舞台とした詩をいくつも書き残しています。 「ふるさとにて」に代表されるように、冬二さんの詩は、分かりやすく親しみやすい言葉でつづられており、詩という枠の中で巧みに冬二さんの世界が表現されています。「制約こそ詩の中の最も大切な要件」と述べた冬二さんが、そこにいたるには、長く苦しい道のりがあったのです。 ※1 安田善次郎 やすだぜんじろう(1838―1921) 銀行家。江戸時代末期、武士の子として富山に生まれましたが、商人を志して上京します。やがて安田銀行を設立し、大きな成功を収めました。莫大なお金を手にした善次郎さんは、独り占めするのではなく、学校建設のために寄付するなど、社会に大きく貢献しました。 (続きを読む・・・) 最新のお知らせ 春の農業用水路転落事故防止強化期間について 黒部市立あおーよ図書館ボードゲームイベントについて 令和6年6月定例会の日程をお知らせします 黒部市地域公共交通計画の策定について 【5月~6月実施】スマホ教室参加者募集中! 福祉に関する計画 第4次黒部市地域福祉計画(令和6年度~令和10年度)を策定しました。 林道の通行状況について お知らせ一覧へ